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元興寺 がんごうじ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

元興寺
がんごうじ

奈良市芝新屋町所在の寺。日本最古の寺飛鳥寺養老2 (718) 年,平城京に移転したもの。南都七大寺の一つであったが中世に衰えた。平安時代初期の『薬師如来立像』 (国宝) を安置する。なお当初の僧房鎌倉時代に改造して本堂,禅室 (ともに国宝建造物) とした極楽坊は,現在,元興寺から独立した寺として同市中院町にある。

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デジタル大辞泉の解説

がごう‐じ〔グワゴウ‐〕【元興寺】

がんごうじ(元興寺)
《昔、奈良の元興寺(がんごうじ)の鐘楼に鬼が出たという伝説から》鬼。また、鬼のような顔をして子供を脅すときに言う語。がごじ。がごぜ。
「―が出でて、人を食ふと申すほどに」〈虎明狂・清水

がご‐じ〔グワゴ‐〕【元興寺】

がんごうじ(元興寺)
がごうじ(元興寺)」に同じ。

がんごう‐じ〔グワンゴウ‐〕【元興寺】

奈良市芝新屋町にある華厳(けごん)宗の寺。南都七大寺の一。養老2年(718)、法興寺・元興寺とも呼ばれた飛鳥寺(あすかでら)を奈良の都に移したもので、新元興寺とも称した。がごじ。がごうじ。→飛鳥寺
奈良市中院町にある真言律宗の寺。院号は極楽院の学僧の住房であった極楽坊が、庶民の信仰を集め発展したもの。14世紀に、真言兼宗。江戸時代は極楽院、のち元興寺極楽坊と称した。本堂・禅室・五重小塔は国宝。平成10年(1998)「古都奈良の文化財」の一つとして世界遺産(文化遺産)に登録された。

がんご‐じ〔グワンゴ‐〕【元興寺】

がんごうじ(元興寺)

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百科事典マイペディアの解説

元興寺【がんごうじ】

奈良市芝新屋町にある華厳宗の寺。本尊弥勒菩薩。初め蘇我氏によって飛鳥(あすか)の地に建てられ,法号を法興寺,俗に飛鳥寺ともいった。平城遷都以後平城京内に移され,南都七大寺の一つとして栄え,三論・法相(ほっそう)などの教学の中心の一つであったが,その後寺運衰え,現在かつての塔跡と仮堂の本堂,鎌倉時代建立の僧坊の一部極楽坊が残っている。
→関連項目愛智荘縁起物倶舎宗外京古都奈良の文化財資財帳寺社縁起摺仏

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デジタル大辞泉プラスの解説

元興寺(がごぜ)

日本の妖怪奈良県奈良市の元興寺(がんごうじ)の鐘楼に現れたとされる妖怪。「元興寺の」とも。「日本霊異記」などに記述がある。

元興寺

奈良県奈良市にある寺院創建は718年。宗派は真言律宗、本尊は智光曼荼羅阿弥陀如来。593年に創建した法興寺(飛鳥寺)を移転し創建。「古都奈良の文化財」の一部としてユネスコ世界文化遺産に登録。南都七大寺のひとつ。

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世界大百科事典 第2版の解説

がんごうじ【元興寺】

奈良市にある寺。南都七大寺の一つ。奈良時代建立の元興寺の旧跡を継ぐ寺院は現在,元興寺(旧称極楽坊,真言律宗),元興寺(東塔院址,華厳宗),小塔院(小塔院址,真言律宗)の3寺院に分かれている。元興寺は飛鳥に創建された法興寺(飛鳥寺)に起源をもつ。平城遷都後の718年(養老2)法興寺を平城京左京四条・五条の七坊の地に移して元興寺と称し,飛鳥の法興寺を本元興寺と称した。奈良時代の元興寺の伽藍配置は,南大門・中門・金堂・講堂が伽藍中軸線上に並び,回廊は金堂を囲んで中門と講堂を結ぶ。

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大辞林 第三版の解説

がごうじ【元興寺】

〔「がんごうじ」の転。元興寺に鬼がいたという伝説から〕
鬼の異名。がごじ。 「清水へ参れば、-がいでて人をくふと申すほどに/狂言・清水」
鬼のまねをして、子供を脅すこと。がごじ。がごぜ。

がごじ【元興寺】

がごぜ【元興寺】

がんごうじ【元興寺】

奈良県明日香村飛鳥にある真言宗の寺。596年、蘇我馬子が建立。初め法興寺と称し、飛鳥寺ともいう。現在、飛鳥大仏を蔵す安居院あんごいんのみを残す。本元興寺。がんごじ。がごじ。
奈良市にある寺。718年に飛鳥よりを移し745年完成。南都七大寺の一。法相学の中心として栄えた。現在、観音堂の系譜を引く芝新屋町の寺(華厳宗)と極楽坊の系譜を引く中院町の寺(真言律宗)とがある。新元興寺。がごじ。 → 極楽院

がんごじ【元興寺】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

元興寺
がんごうじ

奈良市芝新屋(しばのしんや)町にある華厳(けごん)宗の寺。南都七大寺の一つに数えられ、日本最古の寺院の一つ。仏教移入の争いで物部(もののべ)氏を破った蘇我馬子(そがのうまこ)が、596年(推古天皇4)に建立したと伝え、豊浦(とゆら)寺、葛城(かつらぎ)寺、飛鳥寺(あすかでら)、建興寺、法師寺、建通寺ともよばれていた。寺には百済(くだら)僧の道欣(どうきん)が住したのをはじめ、高句麗(こうくり)僧の慧灌(えかん)が入寺して三論を講読して雨を祈り、さらに入唐(にっとう)僧道昭が禅院を東南院に建立して将来した仏舎利および一切経(いっさいきょう)を安置するとともに、法相(ほっそう)教学の学問寺とした。710年(和銅3)の平城遷都に伴い奈良に新寺を建立して新元興寺と称したが、飛鳥の寺は本元興(もとがんごう)寺とよばれ、徐々に荒廃し、現在は安居院(あんごいん)に飛鳥大仏を残すのみとなった。
 新元興寺は東金堂、大金堂などが造営され、745年(天平17)には結構が整った。智光(ちこう)、頼光(らいこう)らの三論教学が盛行し、勝悟(しょうご)、明詮(みょうせん)らの法相義も宣揚されて興福寺と拮抗(きっこう)する勢いを示した。しかし、室町時代に至って多くの堂宇を焼失、1859年(安政6)の火災では観音(かんのん)堂、五重塔を焼失し、それ以降は衰えた。現在は仮堂の本堂と、1927年(昭和2)に発掘調査された塔跡(国史跡)を残すのみである。薬師如来(やくしにょらい)像は国宝、本尊の十一面観音像および出土品が国重要文化財に指定されている。元興寺は1998年(平成10)、世界遺産の文化遺産として登録された(世界文化遺産。奈良の文化財は東大寺など8社寺等が一括登録されている)。
 なお、新元興寺の子院極楽坊(ごくらくぼう)(のちに極楽院)は智光の住した坊で、鎌倉時代に独立した寺院となった。[里道徳雄]

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世界大百科事典内の元興寺の言及

【奈良時代美術】より

…興福寺は藤原氏の私寺であったが,天皇との姻族のため皇室発願による堂宇も多く,川原寺に代わって官大寺同然に扱われた。平城京東端の台地上で元興寺北隣に寺地をとり,中金堂院,東西金堂院に三面僧房をもつ完備したものになった。元興寺は東に大塔院を独立させ,金堂は組物など他と異なる点があったと伝えられ,細部に飛鳥古様を模したかともみられる。…

【南都七大寺】より

…677年(天武6)の大官大寺に始まる大寺制は,四大寺,五大寺と発展し,756年(天平勝宝8)5月に七大寺の名が初見する。8世紀後半に西大寺が創建されるに及んで,東大寺,大安寺,興福寺,元興(がんごう)寺,薬師寺,法隆寺,西大寺を七大寺と称するにいたった。大寺の造営にはそれぞれ官営の造寺司を設けてことに当たり,経営維持のため莫大な封戸・荘地が施入され,別当や三綱が寺・寺僧の運営指導に当たった。…

【納骨】より

…これに対して個人的な小さな壺や竹筒の蔵骨器も出土するから,1人1人の遺骨を携えて納骨するものもあったわけで,現在もこの形式の納骨は盛んにおこなわれている。中世では奈良元興(がんごう)寺極楽坊のように,長押に木製納骨五輪塔を釘で打ち付ける納骨法もある。この寺は市中の寺院ではあるが,智光曼荼羅のために霊場化し,盛んに納骨がおこなわれて,竹筒型蔵骨器や羽釜型蔵骨器,柄杓型蔵骨器などが出ている。…

※「元興寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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