南都(読み)ナント

デジタル大辞泉 「南都」の意味・読み・例文・類語

なん‐と【南都】

平城京、すなわち奈良異称京都北都平安京)に対していう。南京。→北都
奈良の興福寺比叡山延暦寺北嶺ほくれいとよぶのに対する。→北嶺

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精選版 日本国語大辞典 「南都」の意味・読み・例文・類語

なん‐と【南都】

  1. [ 1 ] 南にある都。〔張衡‐賦題〕
  2. [ 2 ]
    1. [ 一 ] 京都に対して奈良をいう。南京。
      1. [初出の実例]「玄賓僧都者、南都第一之碩徳」(出典:古事談(1212‐15頃)三)
    2. [ 二 ] 奈良の興福寺をいう。比叡山の延暦寺を北嶺というのに対する語。
      1. [初出の実例]「又申云、南都可長者宣歟」(出典永昌記‐天永二年(1111)三月一三日)
    3. [ 三 ] 北朝に対して、南朝の吉野朝廷をいう。
      1. [初出の実例]「南都の侍臣官事も聞て力をぞ失ける」(出典:太平記(14C後)一九)

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百科事典マイペディア 「南都」の意味・わかりやすい解説

南都【なんと】

古都奈良別称京都に対する称で南京ともいう。奈良の諸社寺をさす呼称として使用したのが始まりで,奈良の官大寺南都七大寺と呼んだ。のちに興福寺全盛期を迎えると,興福寺のみをさしていう場合もあった。近世には奈良町ないし北大和地方の別称としても用いるようになる。

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世界大百科事典(旧版)内の南都の言及

【奈良[市]】より

…それぞれ堂塔のほか,多数の社人や寺人をかかえており,四壁(境内)を越えて近傍の占有を競った。ここでは俗生活が許されたのでサト(里,郷)といわれるが,諸郷は平城古京の条坊制に沿って整然たる区画の街地に発達して社寺の都の観を呈し,王朝貴族はこれを南京,南都と呼んだ。やがて奈良が正称とされ,南都(南京)は雅称となる。…

【大和国】より

…784年山背(城)国長岡京遷都によって平城京が廃されると,南大和の飛鳥地方に国府を設けていた大和国司が1国15郡を支配した。そのころ十五大寺が定まるが,これは南都七大寺(東大,興福,元興,西大,薬師,大安,法隆)に奈良の唐招提寺,新薬師寺,飛鳥の本元興寺,弘福寺(ぐふくじ)(川原(かわら)寺),京都の東寺,西寺,摂津の四天王寺,近江の崇福寺を加えたものであり(《延喜式》),これに飛鳥の両寺が加えられたのは飛鳥の復権を示している。しかし,奈良の社寺はその境内地を拡充して社寺の都の南都を出現させ,さらに社寺領荘園の設定に努めたため,国司との対立が激化した。…

※「南都」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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