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南都 ナント

百科事典マイペディアの解説

南都【なんと】

古都奈良別称京都に対する称で南京ともいう。奈良の諸社寺をさす呼称として使用したのが始まりで,奈良の官大寺南都七大寺と呼んだ。のちに興福寺が全盛期を迎えると,興福寺のみをさしていう場合もあった。

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大辞林 第三版の解説

なんと【南都】

◇ 京都を北都というのに対し、奈良のこと。 ↔ 北都
比叡山延暦寺を北嶺というのに対し、奈良の興福寺のこと。 「 -の大衆だいしゆひた甲かぶと七千余人/平家 4

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世界大百科事典内の南都の言及

【奈良[市]】より

…それぞれ堂塔のほか,多数の社人や寺人をかかえており,四壁(境内)を越えて近傍の占有を競った。ここでは俗生活が許されたのでサト(里,郷)といわれるが,諸郷は平城古京の条坊制に沿って整然たる区画の街地に発達して社寺の都の観を呈し,王朝貴族はこれを南京,南都と呼んだ。やがて奈良が正称とされ,南都(南京)は雅称となる。…

【大和国】より

…784年山背(城)国長岡京遷都によって平城京が廃されると,南大和の飛鳥地方に国府を設けていた大和国司が1国15郡を支配した。そのころ十五大寺が定まるが,これは南都七大寺(東大,興福,元興,西大,薬師,大安,法隆)に奈良の唐招提寺,新薬師寺,飛鳥の本元興寺,弘福寺(ぐふくじ)(川原(かわら)寺),京都の東寺,西寺,摂津の四天王寺,近江の崇福寺を加えたものであり(《延喜式》),これに飛鳥の両寺が加えられたのは飛鳥の復権を示している。しかし,奈良の社寺はその境内地を拡充して社寺の都の南都を出現させ,さらに社寺領荘園の設定に努めたため,国司との対立が激化した。…

※「南都」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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