日本歴史地名大系 「三ヶ野村」の解説 三ヶ野村みつがのむら 三重県:一志郡白山町三ヶ野村[現在地名]白山町三ヶ野雲出(くもず)川中流域の左岸丘陵地帯、支流三ヶ野川の開析谷平野にあたる。東は七栗(ななくり)郷(現久居市)、村内を名張(なばり)別街道(津道)が通って南の大(おお)村に至り初瀬(はせ)表街道につながる。西・北は山を隔てて佐田(さだ)村、榊原(さかきばら)村(現久居市)にそれぞれ通ずる。中世は京都万寿(まんじゆ)寺領三賀野(みつがの)庄に属する。成立年代は不明。万寿寺は白河上皇の皇女郁芳門院子の菩提を弔うため永長二年(一〇九七)に建立された六条御堂(六条院)が前身で、平正盛が伊賀国の所領を寄進して寺領が成立。 三ヶ野村みかのむら 静岡県:磐田市三ヶ野村[現在地名]磐田市三ヶ野明(みよう)ヶ島(しま)村の北、太田(おおた)川中流西岸平野部および磐田原台地東部に位置する。山名(やまな)郡に属する。同川に架かる三ヶ野橋(長さ四七間)から村内を東に東海道が通る。文永三年(一二六六)七月頃、宗尊親王が将軍の地位を追われて京都へ戻る途次、「とほつあふみにみかのといふはし」を渡った際「うかりけるみかののはしのくちもせておもはぬみちによをわたるらん」と詠んだ(夫木抄)。 三ヶ野村みかのむら 茨城県:水戸市三ヶ野村[現在地名]水戸市木葉下(あぼつけ)町水戸城下の西二里に位置し、「水府志料」に「西北に山を後にして人家あり」とある。西北は木葉下村。寛永二一年(一六四四)の御知行割郷帳に「三ケ野村」とみえ、「水府志料」に村の東西一五町余・南北八町余、戸数およそ八とある。「加藤寛斎随筆」の四郡村名沿革の項には「三ケ野 正徳年中谷津ヨリ分ル」とあり、「新編常陸国誌」には「天保中木葉下村ニ併セラル」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by