20世紀日本人名事典 「三宅正太郎」の解説 三宅 正太郎ミヤケ ショウタロウ 昭和期の弁護士,劇評家,随筆家 大阪控訴院院長;貴院議員(勅選)。 生年明治20(1887)年6月27日 没年昭和24(1949)年3月4日 出生地東京市芝区明舟町(現・東京都港区) 学歴〔年〕東京帝国大学法科〔明治44年〕卒 経歴司法官試補ののち、大正2年東京地裁判事、7年同部長、14年支那治外法権委員会帝国委員随員、のち大審院検事・判事、東京地裁所長などを経て、昭和10年札幌控訴院長。長崎控訴院長、司法次官、大審院部長、大阪控訴院長などを歴任。勅選貴院議員も務めた。21年退官、弁護士開業。他に中労委会長、労務法制審議会長も務めた。一方在職中から劇評家としても活躍。著書に「嘘の行方」「裁判の書」「三宅正太郎全集」(全2巻)などがある。 三宅 正太郎ミヤケ ショウタロウ 昭和期の美術評論家 帝京大学教授。 生年明治40(1907)年10月2日 没年平成4(1992)年4月29日 出生地鹿児島県鹿児島市 学歴〔年〕東京帝大文学部美学美術史学科〔昭和5年〕卒,東京帝大大学院〔昭和7年〕修了 経歴昭和7年読売新聞社に入社し、約10年間文芸部に在籍。文壇ゴシップを多く執筆。この間、永井荷風の原稿を6年がかりで獲得した逸話で有名になる。46年退社。のち新聞三社連合事務局に勤務。この間、40年跡見学園短期大学教授、54年帝京大学教授、理事を務める。著書に「横顔の作家たち」「作家の裏窓」「パリ留学時代」「現代美術の東と西」「回想の芸術家たち」など。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三宅正太郎」の解説 三宅正太郎(2) みやけ-しょうたろう 1907-1992 昭和時代のジャーナリスト,美術評論家。明治40年10月2日生まれ。昭和7年読売新聞社に入社。文芸部記者,仏印支局長,論説委員などをつとめ,21年退社。新聞三社連合に勤務ののち,帝京大教授。現代美術の評論活動をおこなう。平成4年4月29日死去。84歳。鹿児島県出身。東京帝大卒。著作に「画壇」「回想の芸術家たち」など。 三宅正太郎(1) みやけ-しょうたろう 1887-1949 大正-昭和時代の司法官。明治20年6月27日生まれ。東京地裁所長,司法次官,大阪控訴院長などを歴任。昭和21年貴族院議員,中央労働委員会会長。劇評家としても知られた。昭和24年3月4日死去。63歳。東京出身。東京帝大卒。著作に「嘘(うそ)の行方」。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「三宅正太郎」の解説 三宅 正太郎 (みやけ しょうたろう) 生年月日:1907年10月2日昭和時代のジャーナリスト;美術評論家。帝京大学教授1992年没 三宅 正太郎 (みやけ しょうたろう) 生年月日:1887年6月27日大正時代;昭和時代の司法官。大阪控訴院院長1949年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by