新撰 芸能人物事典 明治~平成 「三波伸介」の解説
三波 伸介(初代)
ミナミ シンスケ
- 職業
- コメディアン,俳優,司会業
- 本名
- 沢登 三郎(サワト サブロウ)
- グループ名
- グループ名=てんぷくトリオ
- 生年月日
- 昭和5年 6月28日
- 出生地
- 東京都 中野区
- 学歴
- 日本大学専門部芸術学科〔昭和24年〕中退
- 経歴
- 5人きょうだいの三男で、生家は洋服屋を営む。昭和15年10歳で東宝系の児童劇団・東童に所属し、芸能活動を開始。戦後、日本大学芸術学部に進むも24年中退、有楽町日劇の地下で映画の仕事を斡旋してもらい、いくつかの映画にエキストラとして出演した。その後、水の江滝子のたんぽぽ劇団を経て、30年浅香光代一座に加わりし、剣さばきをはじめとして技芸を研鑽した他、戸塚睦夫や玉川良一らと知り合う。32年新宿フランス座に移ってコメディアンとなり、33年座長。のちにトリオを組む伊東四朗は同座の常連客であった。35年大阪劇場で玉川、東けんじとともにおとぼけガイズを結成し、一時ラジオやテレビに多くのレギュラー番組をもつ売れっ子となる。しかし、由利徹らの“脱線トリオ”の人気に触発され、36年東京に戻って戸塚、伊東とともに“ぐうたらトリオ”の名でトリオ活動を開始。37年“脱線トリオ”にあやかって“てんぷくトリオ”に改名して以降は「九ちゃん!」「しゃぼん玉ホリデー」「てなもんや三度笠」などのテレビ番組に出演して人気を集め、一躍テレビ界の寵児となった。また、三波による「びっくりしたな、もう」のギャグは、テレビの生んだ流行語の一つとなる。43年には井上ひさしがトリオの座付き役者となり、ともにユニークで新鮮なコントを生み出した。45年黒沢明監督じきじきの指名により、黒沢初のカラー作品「どですかでん」に単独で出演。同年落語をはじめとする演芸の素養を買われて日本テレビ系の演芸番組「笑点」の3代目司会に抜擢され、本職の落語家相手に大喜利で腕を振るい、同番組を視聴率40%の人気番組に育て上げた。48年戸塚が病死したため、“てんぷく集団”として伊東とのコンビで再出発し、49年慣れない2人コントながらフジテレビ放送演芸大賞を受賞。NHKの「てんぷく笑劇場」、「お笑いオンステージ」の「減点パパ」(「減点ファミリー」)のコーナーでも茶の間の人気を集め、単独でも「満員御礼! 三波伸介一座」などの司会で活躍し、“昭和の喜劇王”とも呼ばれたが、57年心臓発作で倒れ、52歳の若さで急逝。平成21年の命日にひとり息子で喜劇俳優の伸一が、2代目三波伸介を襲名した。
- 受賞
- 花王名人大賞(功労賞)〔昭和58年〕
- 没年月日
- 昭和57年 12月8日 (1982年)
- 家族
- 妻=河井 洋子(浅草ロック座ダンサー),長男=三波 伸介(2代目)(俳優)
- 伝記
- 三波伸介 画・書集―夢の途中映画俳優歌った、踊った、喋った、泣いた、笑われた。―浅草で、渥美清、由利徹、三波伸介、伊東四朗、東八郎、萩本欽一、ビートたけし…が笑伝・三波伸介―びっくりしたなあ、もう浅草のひと―久保田万太郎から渥美清まで 三波 伸介 監修佐藤 忠男 著松倉 久幸 著西条 昇 著鈴木 としお 著(発行元 イーステージ晶文社ゴマブックス風塵社東京新聞出版局 ’09’03’02’99’89発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報