三阿弥(読み)サンアミ

デジタル大辞泉 「三阿弥」の意味・読み・例文・類語

さん‐あみ【三阿弥】

足利将軍の同朋衆どうぼうしゅううち能阿弥芸阿弥相阿弥の3代の称。代々唐物鑑識管理座敷飾りの指導などを職とし、画家としても著名

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「三阿弥」の意味・わかりやすい解説

三阿弥
さんあみ

室町時代の水墨画家、能阿弥(のうあみ)(真能(しんのう))、芸阿弥(げいあみ)(真芸(しんげい))、相阿弥(そうあみ)(真相(しんそう))の父子孫3代の呼称。当時室町幕府に各種の芸能をもって仕えた者を同朋衆(どうぼうしゅう)と称し、いずれも阿弥号をもち、その多くは時宗(じしゅう)の門徒であった。もっとも著名なのが、将軍足利義持(あしかがよしもち)、義教(よしのり)、義政(よしまさ)に近侍した三阿弥で、彼らは室町幕府の唐物奉行(からものぶぎょう)として唐物や唐絵(からえ)の目利(めきき)、保管と、それらを用いた座敷飾りに従事した。3人とも、その幅広い職掌から多方面に才能を発揮するが、ことに唐絵に対する深い教養から、ともに絵をよくし、芸阿弥は「国工」と、相阿弥は「国手」とも尊称された。三者を中心とした画系は一つの流派のごときものをなし、阿弥派とよばれ、室町水墨画史上逸すべからざる存在となっている。

榊原 悟]


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旺文社日本史事典 三訂版 「三阿弥」の解説

三阿弥
さんあみ

室町時代,能阿弥(真能)・芸阿弥(真芸)・相阿弥(真相)の父子孫3代をいう
室町幕府に唐絵をもって仕え,水墨画・連歌発展に貢献した。

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とっさの日本語便利帳 「三阿弥」の解説

三阿弥

室町時代の画家父子。▽能阿弥、芸阿弥、相阿弥

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世界大百科事典(旧版)内の三阿弥の言及

【阿弥派】より

…室町時代,足利将軍家に仕えた同朋衆のなかに,能阿弥(真能),芸阿弥(真芸),相阿弥(真相)という3代にわたって諸芸に秀でた人々がいた。この3人を三阿弥と呼び,彼らによって制作された水墨画を主とした絵画と,その影響をうけた周辺の画家たちの画風を総称して,阿弥派の作品または阿弥派画風と称するようになった。しかしこれらの作品に共通する様式的特徴はかならずしも明確にとらえることはできず,したがって鑑賞用語としてはともかく,美術史上の概念を示す呼称にはいたっていない。…

【芸阿弥】より

能阿弥(真能)の子で相阿弥(真相)の父。能・芸・相阿弥と続くいわゆる三阿弥の中心に位置し,その活躍は画事,表具,座敷飾,連歌といった多方面にわたり,足利将軍家および室町幕府における芸能全般をとりしきった。号を学叟といい,三阿弥の中では比較的短命であったが,当時の記録では画事に関するものが多く,国工,国手として登場している。…

【同朋衆】より

…また,阿弥号を名のる習慣は時宗のものであることから,同朋衆と時宗との関係の深さが考えられるが,同朋衆すべてを時宗の信徒とみなすのは妥当ではない。足利将軍家歴代に仕えた同朋衆のなかでは,〈三阿弥(さんあみ)〉と総称された能阿弥,芸阿弥,相阿弥の親子3代がとくに名高い(阿弥派)。なお,同朋は将軍家にならって諸大名家にも置かれたし,江戸時代には幕府の職制にくわえられ,若年寄の配下で同朋頭のもとに殿中における雑用に従事した。…

【能阿弥】より

…真能ともいう。その職は子の芸阿弥,孫の相阿弥に継承され,阿弥派もしくは三阿弥の祖として知られる。連歌,香,作画に長じ,唐物の鑑定,表具,座敷飾の実務・指導を行っている。…

※「三阿弥」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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