真芸(しんげい)とも称される。能阿弥(真能)の子で相阿弥(真相)の父。能・芸・相阿弥と続くいわゆる三阿弥の中心に位置し,その活躍は画事,表具,座敷飾,連歌といった多方面にわたり,足利将軍家および室町幕府における芸能全般をとりしきった。号を学叟といい,三阿弥の中では比較的短命であったが,当時の記録では画事に関するものが多く,国工,国手として登場している。1480年(文明12)画事習得のため上洛していた鎌倉建長寺の賢江祥啓(けんこうしようけい)(啓書記,生没年不詳)に与えた《観瀑図》(根津美術館)が現存する。それには京都五山の月翁周鏡ら三禅僧の著賛があり,〈学叟真芸五十歳〉の款記と〈学叟〉朱文鼎印をもつ,芸阿弥のほとんど唯一の確実な遺品である。画風は端整で,中国宋・元時代の馬遠,夏珪の手法を本格的に取り入れてこれを消化し秩序だてている。主題の〈観瀑〉は阿弥派の家芸であり,画風とともに狩野派に踏襲されていく。
→同朋衆
執筆者:衛藤 駿
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(山下裕二)
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1431~85.11.2
足利義政・同義尚に仕えた同朋(どうぼう)衆。真芸(しんげい)とも称し,学叟と号した。能阿弥の子。相阿弥の父。1471年(文明3)能阿弥の死とともに,将軍家所蔵の唐物の管理,座敷飾などの職掌を継承。連歌を詠み,また高い画技で京都の絵画界の中心にあった。とくに南宋の夏珪(かけい)の画風を基礎とした山水画は,当時の画家に大きな影響力をもった。現存作品に,芸阿弥のもとで画を学んだ賢江祥啓の帰郷に際して与えた「観瀑図」(重文)がある。
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…貧楽斎と号した。相陽(相模)の出身といわれ,1478年(文明10)京都へ上り,芸阿弥(真芸)について画事を学ぶかたわら,足利将軍家所蔵の唐絵に接する機会を得,3年後に業成って帰郷するにあたり芸阿弥から印可として《観瀑図》(根津美術館)を授けられた。93年(明応2)再上洛,京都五山を遍歴後は鎌倉においてもっぱら画事に専念した。…
※「芸阿弥」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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