相阿弥(読み)ソウアミ

デジタル大辞泉 「相阿弥」の意味・読み・例文・類語

そうあみ〔サウアミ〕【相阿弥】

[?~1525]室町後期の画家真相とも称した。号、松雪斎・鑑岳。能阿弥の孫、芸阿弥の子で、同じく足利義政同朋衆となり、「君台観左右帳記くんだいかんそうちょうき」の大成尽力諸芸に秀でたが、特に水墨画にすぐれた。→三阿弥

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百科事典マイペディア 「相阿弥」の意味・わかりやすい解説

相阿弥【そうあみ】

室町時代の画家。真相とも称す。号は鑑岳。美術鑑定茶の湯に通じ,祖父の能阿弥,父の芸阿弥に続いて同朋(どうぼう)衆となる。《君台観左右帳記》(東北大学本),《東山殿御飾記》を著し,秘伝書として美術愛好者に尊重された。絵は,南宗画的な構成と筆法柔軟な没骨(もっこつ)的描法の山水に特徴があり,代表的な伝称作品に《山水図襖絵(ふすまえ)》(大仙院)がある。
→関連項目阿弥派幸阿弥家古流

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改訂新版 世界大百科事典 「相阿弥」の意味・わかりやすい解説

相阿弥 (そうあみ)
生没年:?-1525(大永5)

室町後期の絵師。芸阿弥の子。姓名は中尾真相。松雪斎,鑑岳と号す。父についで室町幕府同朋衆となり,8代将軍足利義政に仕え東山文化の形成に重要な役割を果たした。書院飾の方式を完成し《御飾記》を著し,幕府唐物奉行として中国渡来の唐絵の管理・鑑定に従事し《君台観左右帳記(くんだいかんそうちようき)》を記す。
執筆者: 絵は周文流観瀑図を家芸とするが,大徳寺大仙院室中の間の《山水図襖絵》が代表作とされているところから,南宗画風の柔軟な画風もこなしている。また連歌をよくし,連歌奉行〈宗匠〉となり,多くの庭園の作者に擬されている。幅広い活躍から後世とくに慶長~寛永期(1596-1644)には数寄の宗匠と仰がれ,道具図,茶湯書,作庭記の類に相阿弥の名が冠されることになる。享年70歳前後と推測されている。
阿弥派
執筆者:

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朝日日本歴史人物事典 「相阿弥」の解説

相阿弥

没年:大永5(1525)
生年:生年不詳
室町後期の足利将軍家の同朋。絵画制作,書画の鑑定,座敷飾の指導,連歌など幅広い技芸に携わった。また,多くの庭園の作者に擬せられているが確証はない。鑑岳と号し,真相と称した。祖父能阿弥,父芸阿弥のあとを継ぎ,「国工相阿」と称されてその画名が高かった。後世この3代を三阿弥と呼び,絵画史の上では阿弥派という。また座敷飾の秘伝書『君台観左右帳記』『御飾記』の筆者として著名であり,後世茶道の世界で神格化されたが,その書誌学的研究については残された課題が多い。『蔭凉軒日録』『実隆公記』などに多くの絵画制作の記録があるが,現存する確実な作品は乏しい。永正10(1513)年創建の大徳寺塔頭大仙院の襖絵を狩野元信一門と共に描いているが,もっとも格式の高い室中を相阿弥が,他の部屋を狩野派が描いていることから,両者の格式の上下関係が推測される。元信は相阿弥の作風から多大な影響を受けている。「鑑岳真相」の落款のある「四季山水図屏風」(米・メトロポリタン美術館蔵)は大仙院画と近似するため,近い時期の確実な作品。その他にも相阿弥筆という伝承の山水図,花鳥図が数多く存在するが,その鑑識については問題を残す。祖父能阿弥以来継承されてきた,牧谿様式に基づく滋潤な水墨技法は高く評価されている。弟子の単庵智伝ほか相阿弥の画風を追随するものは多いが,直接の後継者は確認されない。同朋が将軍家に密着した存在であったがゆえに,足利氏の権威の失墜と歩調をあわせて阿弥派の画業も衰退したと推測される。<参考文献>『日本美術絵画全集』6巻,『水墨美術大系』6巻

(山下裕二)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「相阿弥」の意味・わかりやすい解説

相阿弥
そうあみ

[生]?
[没]大永5(1525).10.27.
室町時代の画家。芸阿弥の子。父を継いで足利義政から義晴まで歴代の将軍に同朋として仕え,書画の管理にあたった。画家として高名で国工と称され,また『君台観左右帳記 (くんだいかんそうちょうき) 』を著わした。大仙院の『瀟湘八景図』 (1513) は相阿弥筆と伝えられて有名。牧谿 (もっけい) の作品などを手本にしたと考えられるが,それを雄大な景観にまとめ上げた手腕は高く評価される。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「相阿弥」の解説

相阿弥
そうあみ

?~1525

足利義政・同義尚らに仕えた同朋(どうぼう)衆。能阿弥の孫。芸阿弥の子。真相(しんそう)とも称し,鑑岳と号した。1485年(文明17)の芸阿弥の死とともに父の職掌をうけつぎ,同朋衆として室町幕府に仕え,将軍家所蔵の書画の管理鑑定をし,連歌師としても活躍。著書「君台観左右帳記(くんだいかんそうちょうき)」には中国画家や座敷飾についての知識がまとめられている。画家としては大徳寺大仙院の襖絵「山水図屏風」が代表作で,牧谿(もっけい)の山水画を基礎に独自の画風を作りあげている。単庵智伝(たんあんちでん)・是庵(ぜあん)らは相阿弥の弟子と伝える。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「相阿弥」の解説

相阿弥 そうあみ

?-1525 室町-戦国時代の画家。
芸阿弥(げいあみ)の子。能阿弥の孫。足利将軍家の同朋衆(どうぼうしゅう),唐物奉行。阿弥派絵画を大成したほか,書画の鑑定,書院飾り,造園,香,連歌,茶など諸芸に才能を発揮した。大永(たいえい)5年死去。京都出身。俗姓は中尾。法名は真相。別号に松雪斎,鑑岳。著作に「君台観左右帳記(くんだいかんそうちょうき)」,作品に「廬山観瀑図(ろざんかんばくず)」など。

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旺文社日本史事典 三訂版 「相阿弥」の解説

相阿弥
そうあみ

?〜1525
室町後期の芸術家・水墨画家
名は真相。芸阿弥の子。足利義政の同朋衆となり,書画・骨董の管理にあたった。水墨画にすぐれ,北宗画に日本風を加味。代表作に大徳寺大仙院『山水襖絵』などがある。茶道では唐様書院台子 (だいす) 方式を立てた。また作庭・生花・香道の名手でもあった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「相阿弥」の意味・わかりやすい解説

相阿弥
そうあみ

真相

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世界大百科事典(旧版)内の相阿弥の言及

【室町時代美術】より

…このように建物や室の用途によって漢画とやまと絵を描き分ける方式は,後期の狩野派が障壁画で試みた和漢の総合の前提となるものである。それらの建物に唐絵,唐物を飾る座敷飾の方式は,同朋衆として座敷飾を受け持った相阿弥の《君台観左右帳記》にくわしい。同朋衆のなかで作庭を行い,義政の信任厚かったのが河原者の善阿弥である。…

※「相阿弥」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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