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室町後期の絵師。芸阿弥の子。姓名は中尾真相。松雪斎,鑑岳と号す。父についで室町幕府の同朋衆となり,8代将軍足利義政に仕え東山文化の形成に重要な役割を果たした。書院飾の方式を完成し《御飾記》を著し,幕府唐物奉行として中国渡来の唐絵の管理・鑑定に従事し《君台観左右帳記(くんだいかんそうちようき)》を記す。
執筆者:鳥居 和之 絵は周文流観瀑図を家芸とするが,大徳寺大仙院室中の間の《山水図襖絵》が代表作とされているところから,南宗画風の柔軟な画風もこなしている。また連歌をよくし,連歌奉行〈宗匠〉となり,多くの庭園の作者に擬されている。幅広い活躍から後世とくに慶長~寛永期(1596-1644)には数寄の宗匠と仰がれ,道具図,茶湯書,作庭記の類に相阿弥の名が冠されることになる。享年70歳前後と推測されている。
→阿弥派
執筆者:衛藤 駿
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(山下裕二)
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?~1525
足利義政・同義尚らに仕えた同朋(どうぼう)衆。能阿弥の孫。芸阿弥の子。真相(しんそう)とも称し,鑑岳と号した。1485年(文明17)の芸阿弥の死とともに父の職掌をうけつぎ,同朋衆として室町幕府に仕え,将軍家所蔵の書画の管理鑑定をし,連歌師としても活躍。著書「君台観左右帳記(くんだいかんそうちょうき)」には中国画家や座敷飾についての知識がまとめられている。画家としては大徳寺大仙院の襖絵「山水図屏風」が代表作で,牧谿(もっけい)の山水画を基礎に独自の画風を作りあげている。単庵智伝(たんあんちでん)・是庵(ぜあん)らは相阿弥の弟子と伝える。
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…このように建物や室の用途によって漢画とやまと絵を描き分ける方式は,後期の狩野派が障壁画で試みた和漢の総合の前提となるものである。それらの建物に唐絵,唐物を飾る座敷飾の方式は,同朋衆として座敷飾を受け持った相阿弥の《君台観左右帳記》にくわしい。同朋衆のなかで作庭を行い,義政の信任厚かったのが河原者の善阿弥である。…
※「相阿弥」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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