室町中期の画家。号は学叟(がくそう)。将軍足利義政(あしかがよしまさ)に仕えた同朋衆(どうぼうしゅう)で、芸阿弥(げいあみ)とも称し、父の真能(能阿弥)、子の真相(相阿弥)とともに三阿弥の一人。唐物(からもの)の鑑定や座敷飾りに従事し、水墨画、連歌(れんが)に優れていた。三阿弥のなかでは比較的若死にであったためか遺品も少なく、彼の唯一確実な真筆として『観瀑図(かんばくず)』(東京・根津美術館)をあげるにすぎない。これは1485年(文明17)建長寺の画僧賢江祥啓(けんこうしょうけい)が彼のもとで学んだのち、帰国に際しての印可として贈ったもので、図上には当時の京都五山を代表する詩僧、月翁周鏡(げつおうしゅうきょう)、蘭坡景茝(らんぱけいし)、横川景三(おうせんけいさん)が賛を寄せている。構図・筆致ともに謹直端正で、南宋(なんそう)院体の手法を本格的に学習した跡がみえる。なお連歌もよくし、『新撰菟玖波集(しんせんつくばしゅう)』に2句採録されている。
[榊原 悟]
『衛藤駿著『日本美術絵画全集6 相阿弥/祥啓』(1981・集英社)』
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…貧楽斎と号した。相陽(相模)の出身といわれ,1478年(文明10)京都へ上り,芸阿弥(真芸)について画事を学ぶかたわら,足利将軍家所蔵の唐絵に接する機会を得,3年後に業成って帰郷するにあたり芸阿弥から印可として《観瀑図》(根津美術館)を授けられた。93年(明応2)再上洛,京都五山を遍歴後は鎌倉においてもっぱら画事に専念した。…
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