上井村(読み)うわいむら

日本歴史地名大系 「上井村」の解説

上井村
うわいむら

[現在地名]国分市上井・山下町やましたちよう

みなと村・下井したい村の北東、検校けんこう川の流域に位置し、西は上小川かみこがわ村。中世には小河おがわ院のうちで、近世には国分郷に属していた。当地名字の地とする上井氏は上井筑前守大神為秋に始まるとされ、為秋は信濃国諏訪大社の御洗祝の末裔と伝え、為秋の代に同国から当地に下ったという。地内には上井氏の居城であった中世の上井城跡がある。

建治二年(一二七六)八月日の石築地役配符写(調所氏家譜)には小河院のうちとして「上井二十五丁」とある。康正二年(一四五六)三月二四日、大隅に侵入していた日向の伊東氏や北原氏は「めくり・敷根・上井」に兵を進めたが、島津忠国の率いる薩摩勢によって追われている(「島津国史」、三月二九日「本田国親書状」旧記雑録など)。文明一七年(一四八五)三月、帖佐ちようさ(現姶良町)城主島津忠廉は加治木忠敏らが籠る上井城を攻め、同月一六日これを落している。この戦いで忠廉の臣本田弥左衛門尉が討死し(殉国名藪)、また本田兼親は合戦の功により同月一九日敷根しきね六町を与えられている(「島津忠廉宛行状」旧記雑録)

上井村
あげいむら

[現在地名]倉吉市上井・上井町一―二丁目

海田かいだ村の南、天神川右岸の氾濫原に位置する。当村南部で東からの倉吉往来と、長瀬ながせ宿(現羽合町)倉吉町を結ぶ道が合流する。現くらよし大橋付近が倉吉往来の天神川(竹田川)渡船場であったとされる。河村かわむら郡に属し、拝領高は四四一石余。花房・山住・蒔田・安養寺各氏および倉吉組士村岡氏の給地があった(給人所付帳)。宝暦三年(一七五三)頃の河村郡村々明細帳(近藤家文書)によれば朱高四八一石余、高五四〇石余、うち畑高二六石余、免五ツ三分。悪田・定加損米九石、藪役銀一一匁余、棟数八軒・役高一六〇人。男八八・女八〇で、ほかに禅門二・医者一。

上井村
あげいむら

[現在地名]美里町上井

箕六みろく村の東南方、長峰ながみね山脈から北流する小支流上井谷に沿う。「続風土記」は、この谷には弘法大師の作と伝える上井かみのい・中井・下井の三つの井戸があり、上井には大師像を安置する小堂があったという。同書は、村名はこれより起こったとされるがおそらく閼伽井が訛ったものであろうと記す。遠井辻といつじ峠を越える竜神街道が村内を通り、途中の上井谷には不動ふどう滝がかかる。

神野こうの庄に含まれた地で、近世も高野山領。「続風土記」は村高一八八石余、家数五六、人数二六一、小祠二社(八王子社・祇園社)を記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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