日本歴史地名大系 「上大崎村」の解説 上大崎村かみおおさきむら 東京都:品川区上大崎村[現在地名]品川区上大崎一―四丁目・西五反田(にしごたんだ)一―二丁目など下大崎村の西、目黒川の左岸に位置し、「中原海道新道」(風土記稿)が通る。中原(なかはら)往還の別路であろう。土地・耕地は北品川宿・下大崎村と入会っているため、この二村との明確な村境はない。江戸時代初めは下大崎村とともに大崎村一村であった(→下大崎村)。元禄一〇年(一六九七)の上大崎村検地帳(東京都公文書館蔵)によると高四五四石余、反別は田七町三反余(高七七石余)、畑・屋敷三九町九反余、畑・屋敷のうち屋敷が三一町余(高三一二石余)と屋敷地の占める割合が高い村である。 上大崎村かみおおさきむら 埼玉県:南埼玉郡菖蒲町上大崎村[現在地名]菖蒲町上大崎星(ほし)川の右岸で、台(だい)村の西側に位置する。菖蒲領に属するが、古くは騎西(きさい)領という(風土記稿)。当村はもと大崎村という大村であったが、慶長一二年(一六〇七)荒井(あらい)新田村(現白岡町)を分立、次いで元禄(一六八八―一七〇四)以前に上・下二村に分村した。寛永八年(一六三一)板倉重宗の検地があり(風土記稿)、田園簿によれば大崎村の高七二二石余、反別は田方六九町六反余・畑方九九町二反余、幕府領と旗本二家の相給。元禄郷帳に上大崎村とみえ高四二二石余、旗本二家の相給(国立史料館本元禄郷帳)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by