上栗原村(読み)かみくりばらむら

日本歴史地名大系 「上栗原村」の解説

上栗原村
かみくりばらむら

[現在地名]山梨市上栗原

下栗原村の東にあり、笛吹川の支流川右岸の平地に広がる。北はなか村、南は日川を挟んで八代郡上矢作かみやはぎ(現一宮町)。村内を甲州道中東西に通る。中世栗原郷に含まれた。「一蓮寺過去帳」の永正三年(一五〇六)一〇月一八日逆修供養の聞一房に「上栗原」と注記される。慶長古高帳では高五五二石余(三五二石余とする異本もある)領主名の記載はない。ほかに海藤かいとう(海島)寺領一七石余がある。寛永元年(一六二四)の四郡村高帳では高三五二石余。同一一年旗本跡部領となる(「寛政重修諸家譜」、「貞享二年采地簿」臆乗鈔、元禄郷帳)。宝永二年(一七〇五)甲府藩領となり、以後の領主の変遷小原東分こばらひがしぶん村に同じ。正徳五年(一七一五)検地帳(県立図書館蔵)によると高四一九石余、反別は田一五町三反余・畑一二町一反余・屋敷三町四反余。宝暦六年(一七五六)版の三郡村高帳では村高のうち新検出高役引六六石余。


上栗原村
かみくりばらむら

[現在地名]上郡町栗原

下栗原村の南に位置する。江戸時代の領主の変遷は下栗原村に同じ。正保郷帳に村名がみえ、田高一一四石余・畠高四八石余。宝永三年(一七〇六)の名村組指出帳(花岳寺文書)によれば、高一七四石余、家数四〇・人数二〇五、馬三・牛一七。年貢米は有年うね(現赤穂市)川端から川下げし、加里屋かりや(現同上)御蔵へ納入した。荒神たき大明神・薬師堂がある。氏神は下栗原村の天神宮(現天満神社)であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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