日本歴史地名大系 「栗原郷」の解説
栗原郷
くりばらごう
笛吹川の支流
栗原郷
くりはらごう
「和名抄」東急本・高山寺本とも「久利波良」の訓を付す。天平宝字五年(七六一)一二月二三日付の甲斐国司解(正倉院文書)に「坤宮官廝丁巨麻郡栗原郷漢人部千代」を、逃亡した仕丁の同郷漢人部町代の替えとして保良離宮に貢上するとあり、これに関連する翌六年六月頃の石山院奉写大般若経所解、および同年一二月二四日付の大般若経所解(ともに同文書)にも、漢人部千代の出身地を「甲斐国巨麻郡栗原郷」と注記している。当郷の遺称は現山梨市
栗原郷
くりはらごう
栗原郷
くりはらごう
江戸期の栗原村一帯に比定される中世の郷名。南北朝期には富士浅間社(富士山本宮浅間大社)領で、康安二年(一三六二)正月一一日の駿河守護今川範氏書下および至徳元年(一三八四)一二月一二日の同今川泰範書下(ともに大宮司富士家文書)によって、
栗原郷
くりはらごう
栗原郷
くりはらごう
栗原郷
くりはらごう
栗原郷
くりはらごう
栗原郷
くりはらごう
栗原郷
くりはらごう
栗原郷
くりはらごう
栗原郷
くりはらごう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報