上泉村(読み)かみいずみむら

日本歴史地名大系 「上泉村」の解説

上泉村
かみいずみむら

[現在地名]大井川町上泉、藤枝市善左衛門ぜんざえもん三丁目など

大井川左岸に位置し、北西は善左衛門新田(現藤枝市)

〔中世〕

建武三年(一三三六)一二月一一日の高師直奉書(秋元興朝氏所蔵文書)初倉はづくら庄内「江富郷付上泉村」とみえ、京都南禅寺に交付された。貞治六年(一三六七)一〇月二日の官宣旨案(南禅寺文書)にも同様にみえ、伊勢神宮の役夫工米や国中の段米・棟別、臨時の公役等が免除されている。康暦二年(一三八〇)六月一一日には室町幕府も役夫工米の免除を承認し、今川範国が発給する催促状の早期停止を命じている(「斯波義将奉書」同文書)。至徳元年(一三八四)一一月二七日、当村内世戸島せとじまは南禅寺代官が当知行していたためそのまま打渡されている。世戸島は駿河・遠江の国境であった(「助秀・法種連署打渡状」同文書)


上泉村
かみいずみむら

[現在地名]前橋市上泉町

前橋城下より大胡おおご(現勢多郡大胡町)への往還に沿い、南は東片貝ひがしかたかい村、西から北は端気はけ村・五代ごだい村、東は小泉こいずみ村。村の南西部は旧利根川の氾濫原を桃木もものき川が流れる平坦地で地味がよいが、北東部は赤城山南麓傾斜地で、水利不便のため新田塚しんでんづか沼・次郎房じろうぼう沼などを用水源としている。康暦三年(一三八一)四月五日の藤原政宗請文(長楽寺文書)によれば、上泉村のうち杉木在家などを世良田せらだ(現新田郡尾島町)長楽ちようらく大通だいつう庵が買取っている。寛文郷帳に田方一千二四七石四斗余・畑方三〇七石余とある。元禄二年(一六八九)検地帳(上泉町有文書)は表紙が欠けているが、田畑合計六四町八反余とある。


上泉村
かみいずみむら

[現在地名]若葉区上泉町・小間子町おまごちよう

富田とみだ村の北にあり、南西部を鹿島かしま川が流れる。小間子牧付の村。西方の下泉村と合せ一村であったらしく、慶長一九年(一六一四)の東金御成街道覚帳に泉村とみえ、富田村などとともに五〇間の道普請を負担。寛文元年(一六六一)から佐倉藩領で、同四年の松平乗久領知目録(寛文朱印留)では印旛いんば郡内に村名が記される。元禄一二年(一六九九)同藩主の弟戸田氏知行所となり、幕末に至る。同一三年頃の高三四三石余。天保四年(一八三三)の年貢米四五三俵余のうち六八俵余は容赦、二七五俵は寒川さんが(現中央区)の仁右衛門に津出しし、五〇俵が仲田久右衛門へ渡されている(仲田家文書)


上泉村
かみいずみむら

[現在地名]常北町上泉

東端を那珂川が屈曲して流れ、川沿いの標高は二〇メートル前後の低地。西は石塚いしつか村。

久寿三年(一一五六)頃のものと思われる鹿島神宮神領目録(賜蘆文庫文書所収の鹿島文書)には「かミいつミ 五斗」とみえ、康安二年(一三六二)正月七日の佐竹義篤譲状(秋田県立図書館蔵)には「義篤妻分 那珂西郡 下泉村(中略)京御方分 那珂西郡 中泉村」とみえる。「水府志料」にはこれについて「其比上中下三村ありしとみゆ。今何れの地なるや知らず」と記す。


上泉村
かみいずみむら

[現在地名]小山市上泉

巴波うずま川右岸に位置し、北は小林おばやし村、東の対岸は下河原田しもかわらだ村。永禄三年(一五六〇)一一月二六日の小山高朝安堵状(岩上文書)に「上泉郷」とみえ、高朝は榎本えのもと(現下都賀郡大平町)を回復し、岩上伊勢守に当地の支配をゆだねている。天正一一年(一五八三)二月二二日の近藤出羽守寄進状(円満寺文書)によれば、北条氏照の家臣で榎本城主の近藤綱秀は権現堂に当地のうち三貫文の手作地を寄進している。


上泉村
かみいずみむら

[現在地名]袖ケ浦市上泉

下泉村の南東に位置し、小櫃おびつ川支流のまつ川が流れる。永地滝泉えいちりゆうせん寺の慶長一九年(一六一四)銘の棟札(君津郡誌)に上泉とある。寛永二年(一六二五)知行宛行状に村名がみえ、当村の四五四石が旗本牧野氏に与えられている。正保国絵図では高五二四石余。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では家数一〇四、同家領で、幕末まで同家領(天保一一年望陀郡戸口録など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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