日本歴史地名大系 「中泉村」の解説
中泉村
なかいずみむら
- 静岡県:磐田市
- 中泉村
見付宿の南、磐田原台地の南端部に位置し、東は
建武元年(一三三四)一二月二九日の遠江守護今川範国書下(秋鹿文書)に八幡宮(現府八幡宮)領として中泉郷がみえ、守護使不入とされている。同四年八月一四日には郷内での殺生が禁じられた(「遠江守護今川範国書下」同文書)。また貞和五年(一三四九)三月一四日には中泉郷への臨時課役の催促が停止された(「遠江守護今川範国書下」同文書)。八幡宮は戦国期には遠江に進出した戦国大名今川氏の庇護を受け、大永八年(一五二八)三月二八日には今川氏輝により同宮領として安堵され(「今川氏輝判物」同文書)、天文一〇年(一五四一)一二月三日の今川義元判物(同文書)では年来無足となっていた当郷内五反田を新寄進として同宮神主秋鹿氏に還補され、郷内不入が安堵されている。徳川家康の支配下に入っていた天正一五年(一五八七)一一月二八日、中泉から駿府までの遠江・駿河の各宿に人足一人を出すことが命じられた(「徳川家康伝馬手形写」記録御用所本古文書)。中泉にはのちに御殿とよばれる家康の別荘が建てられ(「遠州中泉古城記」中泉町誌)、同一六年一月二九日、家康は中泉で鷹狩をしている(家忠日記)。その後も家康の上洛の際などにしばしば宿泊先として使われた(同書同年三月一日条など)。
中泉村
なかいずみむら
- 福岡県:直方市
- 中泉村
彦山川下流左岸に位置する。北は
中泉村
なかいずみむら
中泉村
なかいずみむら
中泉村
なかいずみむら
中泉村
なかいずみむら
中泉村
なかいずみむら
中泉村
なかいずみむら
中泉村
なかいずみむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報