長崎県壱岐(いき)と対馬の間の海域をいう。海上保安庁海洋情報部(旧水路部)発行の海図では、壱岐と対馬の間の海域を対馬海峡東水道とし、対馬と朝鮮半島との間の海域を対馬海峡西水道としている。しかし、一般にはこの東水道を対馬海峡、西水道を朝鮮海峡とよんでいる。対馬海峡は幅約50キロメートルの水域で、対馬暖流が北上し、水面温度は、夏季に27~28℃、冬季に13~14℃が示される。この海域は古来、大陸と日本とをつなぐ航路としてきわめて重要な役割を果たした。現在、博多(はかた)(福岡市)から厳原(いづはら)(対馬市厳原町)、比田勝(対馬市上対馬町)との間にフェリーを通じている。また、イカの一本釣り漁場で、漁期には漁火(いさりび)でにぎわう。
[石井泰義]
『平口哲夫著「朝鮮・対馬海峡沿岸の古代捕鯨」(『日本海セトロジー研究』1号所収・1991・日本海セトロジー研究会)』▽『国分直一著『北の道 南の道――日本文化と海上の道』(1992・第一書房)』▽『小泉実著『スケッチで綴る島へんろ』(1997・日本図書刊行会、近代文芸社発売)』▽『松村劭著『海から見た日本の防衛――対馬海峡の戦史に学ぶ』(PHP新書)』
九州と朝鮮半島の間の海峡。中央に横たわる対馬の東,壱岐までの間を東水道,対馬の西を西水道ともいう。狭義の対馬海峡は東水道を指し,西水道を朝鮮海峡ということもある。両水道とも幅は最短部で50km。黒潮から分かれた対馬海流が日本海へ北上し,西水道には水深200m,延長60km以上の浸食谷がみられる。日本有数のイカ漁場で,一本釣漁業が盛んである。古代から大陸・半島文化が日本へ伝わる海上の道であり,またモンゴルの日本侵攻や日本からの半島攻略の経路でもあった。また,1905年の日本海海戦もこの海域を中心に展開された。
1977年,領海を12カイリとする領海法が施行されたが,対馬海峡は宗谷,津軽,大隅の各海峡とともに,従来どおり領海を3カイリとする特定海域となっている。下関~釜山間に関釜(かんぷ)フェリーが通じ,博多~厳原(いづはら)(対馬)間,小倉~比田勝(対馬)間もフェリーが就航する(現在,後者は廃止)。
執筆者:竹内 清文
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