上金沢村(読み)かみかなさわむら

日本歴史地名大系 「上金沢村」の解説

上金沢村
かみかなさわむら

[現在地名]会津坂下町へい

みや(鶴沼川)左岸にあり、東を栗村くりむら堰が北流し、西は下金沢村、南は沢田さわだ(現新鶴村)。江戸時代には下金沢村と雑居していたが、現在は下金沢より約二〇〇メートル東に移動している。もと下金沢村とともに金沢村であった。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では高二二九石余。寛文五年(一六六五)の「稲河領牛沢組郷村万改帳」では本田高二二八石余・新田高一石余、免六ツ七分九厘余、家数三一、竈三四、男八三・女七八、馬一六、小物成に綿役・糠藁・足前があり、「縄ヲナイ商売ス」とある。

上金沢村
かみかねざわむら

[現在地名]大子町上金沢

おし川の水源地にあり、南は相川あいがわ村。佐竹知行目録(彰考館蔵)の文禄四年(一五九五)八月一八日の項に「金沢」とあり、「新編常陸国誌」に「金沢ト云ヘルハ、モト此辺多ク黄金ヲ出セシヨリノ名ナリ、最須敬重絵ニ、奥州大網東山ヲ去ルコト、坂東ノ道三十里西方ニヨリ、金沢ト云フ所ニ、乗専房ト云フ人アリト見エタルハ、コノ地ナリ」とみえる。寛永一二年(一六三五)の水戸領郷高帳先高に「金沢村」とあるが、これは開田かいだ(下金沢)村と田野沢たのさわ村の一帯を含んだものと推定される。

上金沢村
かみかなざわむら

[現在地名]新津市東金沢ひがしかなざわ

阿賀野川左岸に位置し、東は新郷屋しんごや村、南は金屋かなや村。寛永一〇年(一六三三)満願寺まんがんじ村庄屋石川与次右衛門が同村の荒地を開発して成立と伝え、当初は上興野かみごや新田と称したという(皇国地誌)正保国絵図に村名があり、新発田藩領。寛文四年(一六六四)の沢海藩領分郷村高辻帳には「満願寺村之内金沢村」とあり、高一三六石六斗余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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