下つ道(読み)したつみち

精選版 日本国語大辞典 「下つ道」の意味・読み・例文・類語

したつ【下つ】 道(みち)

  1. 地中を掘りぬいた道。
    1. [初出の実例]「夜険(さか)しきところを鑿(うか)ちて地道(シタツミチ)を為して悉に輜車(にくるま)を過(やり)奇兵(かくれたるつはもの)を設(まう)けたり」(出典日本書紀(720)雄略八年二月(前田本訓))

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日本歴史地名大系 「下つ道」の解説

下ツ道
しもつみち

近世のなか街道にあたり、奈良盆地中央を南北に縦貫する重要な古代交通路。橿原市見瀬みせ町の丸山まるやま古墳の周濠西端から盆地中央部を北上、同市八木やぎ町、磯城しき郡田原本町、大和郡山市稗田ひえだ町を経て奈良市歌姫うたひめ町に至り、さらに歌姫越から山城方面に通じた。のちの平城京朱雀すざく大路は下ツ道の延長上に置かれ、大和国の条里はこの道を基準として東西に二分する。

初見は「日本書紀」巻二八の壬申の乱の大和における戦闘記事で、大海人皇子方の大伴吹負軍が飛鳥から稗田を経て乃楽なら(奈良山)に至っていることが知られる。南の橿原市八木町では、東西に走るよこ大路に直交し、下ツ道は藤原京の西の京極路であったとみられている。

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改訂新版 世界大百科事典 「下つ道」の意味・わかりやすい解説

下ッ道 (しもつみち)

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世界大百科事典(旧版)内の下つ道の言及

【上ッ道・中ッ道・下ッ道】より

…これら3道の名称は,《日本書紀》の壬申の乱(672)の記述中にみえ,当時すでに存在していたことが明らかである。現在確認できるところでは,下ッ道の北端は,奈良山丘陵の南斜面で平城宮内であり,南端は,見瀬丸山古墳(橿原市大軽町,見瀬町,五条野町にまたがる6世紀前半から中ごろの巨大な前方後円墳)の主軸線が外濠の線と交わるあたり。下ッ道は,発掘調査により,平城宮内で2ヵ所,平城京内で1ヵ所,平城京外で1ヵ所検出されている。…

※「下つ道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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