下高井郡
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
長野県北東部,下高井郡山ノ内町東部を中心とする火山性の高原。上信越高原国立公園の中心部にあたる。秋山郷を流れる中津川の源流部でもあり,その支流雑魚(ざこ)川が西流する。横手山,岩菅(いわすげ)山,東館山(1994m),西館山(1757m),笠ヶ岳(2076m)などの高山に囲まれ,中央に噴出した志賀山からの溶岩流により起伏に富んだ標高1400~2000mの高原が形成された。これらの山に囲まれて溶岩流の凹部に湛水した大沼池,木戸池,丸池,蓮池,三角(みすみ)池など数多くの小さな湖がある。植生は山地帯のカエデ,シラカバ,亜高山帯のトウヒ,ダケカンバ,高山帯のハイマツと垂直的変化に富んでいる。落葉広葉樹が多いことから紅葉の景観にもすぐれる。
志賀高原は昭和初期までは沓野(くつの)地区(山ノ内町)の入会地で,採草地や竹細工に用いるネマガリダケ,薪炭材などの採取地に利用されているにすぎなかった。高原を通る草津街道は南の大笹街道の脇往還の役割を果たし,奥信濃と北上州を結ぶ最短ルートとして利用され,発哺(ほつぽ)温泉,熊ノ湯温泉などの湯治場もあったが,観光開発がはじめられたのは1927年に長野電鉄が湯田中まで開通し,29年に志賀高原丸池スキー場が開設されてからであった。30年丸池ヒュッテ,37年志賀高原温泉ホテル(京都ホテル経営)と観光施設も相次いで建設された。志賀高原は上越国境,信越国境の深雪地帯に比べ積雪量は多くないが,標高が高いため積雪期間が長く,雪質も乾いた粉雪が多く,また地形の起伏にも富み,スキー場としての自然条件にすぐれていた。このため第2次世界大戦後,アメリカ軍が将兵の休養のため丸池スキー場を接収し,46年日本で初めてのスキーリフトを建設した。52年にこれら施設が返還され,スキーリフトは長野電鉄に払い下げられた。これを契機に志賀高原の本格的な観光開発が進み,55年には冬季も丸池までバスが運行されるようになった。スキーリフト,ロープウェー,旅館,ホテルなどの建設も相次ぎ,日本有数のスキー場となっている。
志賀高原の地籍は,沓野地区の住民によって構成される財団法人和合会の所有で,戦前から進出していた長野電鉄,京都ホテルを除き,地元資本によって観光開発が行われてきた。70年には渋峠を越えて山ノ内町上林と群馬県草津温泉を結ぶ41kmが改良舗装され志賀草津道路(92年無料開放)として開通し,年間を通じて観光客が多い。近年は北部の焼額(やけびたい)山(2050m),五輪(ごりん)山(1620m),竜王山(1900m)一帯は奥志賀,南部の上高井郡高山村に属する山田温泉一帯は南志賀と呼ばれ,観光開発が盛んになっている。
執筆者:市川 健夫
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長野県の北東部、群馬県に接し、上信越高原国立公園の中心をなす高原。志賀山(やま)(2037メートル)を中心とする標高1300~2000メートルの起伏の多い高原で、周囲は岩菅(いわすげ)山(2295メートル)、赤石山(2109メートル)、横手山(2305メートル)、五輪(ごりん)山(1620メートル)、笠(かさ)ヶ岳(2076メートル)などの山々に囲まれる。志賀山は湖中から噴出した火山で、その際流出した溶岩流によって形成された溶岩台地が志賀高原であり、溶岩流の窪地(くぼち)に湛水(たんすい)したのが大沼池、琵琶(びわ)池、蓮(はす)池などの大小の湖沼群である。高原の気候は多雪寒冷で、とくに2月は積雪が2、3メートルに及び、4月までは積雪がある。盛夏は最高気温の平均が22℃前後で涼しい。植物はシラビソ、コメツガやカンバ、ブナなどが多い。とくに志賀山を中心にした針葉樹の原生林や琵琶池から蓮池一帯のシラカバは美しい。岩菅山や志賀山など2000メートルを超えるとハイマツも多く、岩菅山にはコマクサ、ガンコウラン、ハクサンコザクラなどがある。動物ではカモシカ、ツキノワグマなども生息する。
開発の歴史は18世紀末から始まる。天明(てんめい)年間(1781~1789)には木戸池近くの田ノ原が松代藩(まつしろはん)によって開田されたことがある。1802年(享和2)には発哺(ほっぽ)温泉が発見され、近世末は山ノ内町から草津温泉に通ずる草津道がにぎわった。幕末松代藩の佐久間象山(しょうざん)は熊ノ湯の利用を勧めている。高原が注目されるようになったのは大正末期からで、スキーが行われるようになり、昭和初年長野電鉄が開発を始め、長野―湯田中間が開通した。志賀高原と名づけられたのもこのころである。第二次世界大戦後はスキーブームとともに大きく発展し、南部の山田温泉一帯の南志賀、北部の岩菅山を中心とする地域の奥志賀まで開発が進んでいる。
高原上の観光資源は多様で、大小70余の湖沼、高山植物、温泉などに恵まれ、スキー場などの施設も整備されている。近年の上信越道の開通により、観光利便は向上した。高原の中央を志賀草津有料道路が通り、長野、群馬両県から入ることができる。年間の観光客のうち70%はスキー客である。
[小林寛義]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…これを人々は〈冬住み〉といった。また志賀高原には大正期まで2軒の季節的温泉宿しかなかった。これらはいずれも冬季にはふもとの母村に下山していたが,昭和初期にスキーが導入されると,冬季でも宿泊客があり,定住温泉集落に成長した。…
※「志賀高原」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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