20世紀日本人名事典 「中村 不折」の解説
中村 不折
ナカムラ フセツ
- 生年
- 慶応2年7月10日(1866年)
- 没年
- 昭和18(1943)年6月6日
- 出生地
- 江戸・京橋
- 出身地
- 長野県
- 本名
- 中村 鈼太郎(ナカムラ サクタロウ)
- 別名
- 別号=孔固亭,豪猪先生,環山
- 経歴
- 少年時代、父の郷里・長野高遠町で真壁雲郷に南画を学んだ。明治20年上京、十一字会研究所に入り、洋画家小山正太郎、浅井忠らに師事。明治美術会に出品。また正岡子規の世話で日本新聞社で日本初の新聞挿絵を描いた。34年渡仏、ラファエル、コランにデッサンを、ジャン・ポール・ローランスに人体表現を学び、38年帰国。太平洋画会に属し、歴史画を多く描く傍ら、太平洋美術学校長、美術協会幹事、審査員を務めた。森鷗外、夏目漱石ら作家と交流、小説の挿絵も描いた。また40年の文展開設以来委員、審査員を務め、大正8年には帝国美術院会員、昭和12年帝国芸術院会員となった。代表作は「賺蘭亭図」「羅漢図」「廓然無聖」「邯鄲(盧生の夢)」などがある。一方書道でも日下部鳴鶴や前田黙鳳に伍して談書会を組織、健筆会を結成、六朝書の研究に取り組んだ。泰東書道院学術顧問を務め、昭和11年書に関する中国の古文物1万余点を納めた書道博物館を東京・根岸の自宅に設立、書道普及にも尽力した。著書に「六朝の書法」「学書三訣」、自伝「僕の歩いた道」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報