翻訳|Jean
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バロア家系ブルゴーニュ公家第2代当主。1399年,ニコポリス十字軍に参加し,勇敢な働きでサン・プールSans Peur(〈恐れ知らず〉の意)のあだ名を得る。1404年家督相続の後,亡父の志を継いでネーデルラントに家勢の伸張を図る。加えてフランス王家家政の実権掌握を狙い,従弟オルレアン公ルイと対立し,07年これを暗殺する。そのためアルマニャック派諸侯と敵対関係に立つことになり,13年,カボシュ一揆を機に一時パリを退去するが,18年,再び王政府の実権を握る。廃嫡された皇太子シャルルを擁したアルマニャック派諸侯は,19年,モントローに設営された談合の席上,彼を謀殺した。
→ブルゴーニュ公国
執筆者:堀越 孝一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
バロア家系ブルゴーニュ公家第2代当主。1399年対オスマン・トルコ十字軍に参加し、勇敢な働きで「サン・プールsans Peur」(恐れ知らず)のあだ名を得る。母はフランドル伯女マルグリット。その血筋からフランドル伯領ほかを相続した。ネーデルラントのホラントほか諸伯領に支配を及ぼしていたバイエルン・ストラウビンク公家の女マルグリットを妻とした。1404年、家督相続ののち、父フィリップ1世の志を継いで、ネーデルラント方面に家勢の伸張を図った。加えて、宗主フランス王家の実権掌握をねらい、従弟オルレアン公ルイと対立し、07年これを暗殺した。ここにアルマニャック諸侯と敵対関係にたち、13年カボシュ暴動を機に一時パリを退去したが、18年ふたたび王政府の実権を握った。廃嫡された王太子シャルルを擁したアルマニャック派諸侯により、19年、モントローに設定された談合の席上、暗殺された。
[堀越孝一]
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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