20世紀日本人名事典 「中村義上」の解説 中村 義上ナカムラ ギジョウ 明治期の篤農家 田原町助役。 生年弘化2年5月10日(1845年) 没年昭和14(1939)年 出生地三河国渥美郡田原(愛知県田原市) 主な受賞名〔年〕大日本農会有功賞〔明治41年〕 経歴父は三河国田原藩の中小姓で、農学者・大蔵永常の助手でもあった。幕末期、藩校成章館の教授を務めるが、廃藩置県とともに帰農。農事改良を志し、明治21年二宮尊徳の報徳社の流れを汲む三遠農学社に参加。26年には同社の東三支社長となり、田原村の柳沢に溜池を築造して稲の増産をはかった。また、肥料の改良や二毛作の奨励なども行い、41年に大日本農会の有功賞を受賞。その後、田原町助役として活躍。晩年は東京に住んだ。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中村義上」の解説 中村義上 なかむら-ぎじょう 1845-1939 明治時代の農事改良家。弘化(こうか)2年5月10日生まれ。もと三河(愛知県)田原藩士。藩校成章館の助教授をつとめ,維新後農業に従事する。明治26年三遠(さんえん)農学社の東三支社長となり,堆肥(たいひ)の改良,貯水池の築造,二毛田の奨励などをおこなった。昭和14年死去。95歳。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by