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中東和平プロセス ちゅうとうわへいぷろせす

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知恵蔵2015の解説

中東和平プロセス

1991年10月のマドリードでの中東和平国際会議の開催から今日までの交渉の流れを、中東和平プロセスと総称する。交渉が実質上スタートしたのは92年6月、イスラエル総選挙ラビン労働党が勝利を収めてから。ラビン政権は、93年初めにノルウェーオスロパレスチナ解放機構(PLO)との秘密交渉を開始、これが同年8月にオスロ合意として結実し、翌9月にホワイトハウスで調印式が行われた。イスラエルとPLOの相互承認、ガザ地区エリコでのパレスチナ人の暫定的な自治の開始、自治地域の拡大のための交渉、占領地の最終的な地位の決定のための交渉などが骨子である。94年にガザ地区とエリコで、他の地域に先行して実際に自治が始まった。同年ヨルダンとイスラエルが平和条約を締結、国交を樹立した。これによりイスラエルは、エジプト、PLO、ヨルダンと公式な関係を樹立、国境を接しながら国交がないのはシリアレバノンのみとなった。95年、イスラエル軍がエルサレムヘブロンを除くヨルダン川西岸の主要都市から撤退(再展開)し、パレスチナ人の自治地域が拡大された。しかし同年11月、ラビン首相が暗殺された。後継者のペレス首相は96年5月29日に総選挙を行い、国民に和平政策への信を問うた。ところが投票を控えた2月末から3月にかけて、イスラム急進派ハマスなどによる連続爆破事件がエルサレムやテルアビブで発生し、約60人の死者が出た。イスラエルの世論は動揺し、ペレスの支持率が急落、野党リクードネタニヤフへの支持が急上昇した。首相に当選したネタニヤフは、和平プロセスを停滞させた。99年5月の総選挙では和平を公約に掲げて労働党のバラク首相が誕生したが、2000年7月のキャンプ・デービッドでの交渉に失敗した。その後9月にアル・アクサー・インティファーダが発生、01年2月には強硬派のシャロン首相が就任した。02年、シャロンは自治地域の大半を再占領した。分離壁を建設して西岸の支配を固める一方、ガザからは撤退した。

(高橋和夫 放送大学助教授 / 2007年)

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵2015」
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