中野川村(読み)なかのかわむら

日本歴史地名大系 「中野川村」の解説

中野川村
なかのかわむら

[現在地名]安岐町矢川やがわ

安岐川最上流域の山間部に位置する。中ノ川村とも書き、なかんかわとよぶ。東は矢川村、西は俣見またみ(現大田村)、南は山浦やまうら村。小倉藩元和人畜改帳に中ノ川村とみえ、高一五九石余、家数一九、うち百姓九、庭屋・へ屋・牛屋九、人数三四、うち百姓九、牛五。正保郷帳では安岐郷に属し、田方七九石余・畑方二九石余で、柴山有・半分日損所・新田有と注記される。天和二年(一六八二)杵築藩初代藩主松平英親の弟松平重長の分知領となり、中野川村を含む八ヵ村は両子組に属した。


中野川村
なかのかわむら

[現在地名]すさみ町佐本中野さもとなかの

佐本川渓流沿いにある。北は竹垣内たけのがいと(現日置川町)、東は西野川にしのかわ村、南は追川おいかわ村、西は東西栗垣内くりがいと村。村名は佐本川渓流から分れて並列する三谷の中間にあることから起こったという説がある(続風土記)


中野川村
なかのかわむら

[現在地名]本川村中ノ川

伊予との国境にある伊予富士いよふじ南東麓の山間村で、中野川川が東流して桑瀬くわぜ川に合流する。宝永三年(一七〇六)の「本川郷風土記(南路志)によれば東西一里四〇町南北一里二五町で、「惣体土地黒、在所南向南下之所也」と記す。

慶長一六年(一六一一)の本川ノ内桑瀬分検地帳の桑瀬村に「中ノ川」以下三筆がみえ、いずれも「居」と記される。うち一筆に「辺路居」とあり、当時巡礼者が山間奥地をも訪れたことがわかる。


中野川村
なかのかわむら

[現在地名]那智勝浦町西中野川にしなかのかわ

熊瀬川くませがわ村の西に位置する山間の小村北西高野たかの村。「続風土記」は「小匠川と色川との間、狭少の谷に村居する故に中ノ川の名あり」と記す。慶長検地高目録によれば村高三一石余、小物成五・二五一石。近世後期の「新宮領分見聞記」によると家数二一、村高五六石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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