新撰 芸能人物事典 明治~平成 「丹波哲郎」の解説
丹波 哲郎
タンバ テツロウ
- 職業
- 俳優
- 本名
- 丹波 正三郎(タンバ ショウザブロウ)
- 生年月日
- 大正11年 7月17日
- 出生地
- 東京都 豊多摩郡大久保町百人町(新宿区)
- 学歴
- 中央大学法学部英法科〔昭和23年〕卒
- 経歴
- 陸軍薬務官から日本画家に転じた丹波二郎の三男で、祖父・丹波敬三は東京帝国大学名誉教授を務めた薬学者。家系図は後漢の第12代皇帝・霊帝から始まり、平安時代に医学書「医心方」を著した丹波康頼の子孫という。家は東京屈指の大地主。昭和18年学徒出陣し、20年陸軍から復員。中央大学英法科に在学し、外務省嘱託として連合国軍総司令部(GHQ)の通訳を務めた。その後、俳優を志し、文化座を経て、26年新東宝に入社。27年「殺人容疑者」でデビュー。以後、彫りの深い精悍な顔立ちと長身、敏捷な動きが認められ、ギャング役や時代劇の悪役で活躍。33年テレビドラマ「丹下左膳」に左膳役で起用され、人気を高めた。34年新東宝を退社しフリー。35年テレビドラマ「トップ屋」でディレクター・五社英雄に見いだされて主演、五社のエネルギッシュで大胆な演出と丹波のアクの強いキャラクターで番組は成功した。36年映画「豚と軍艦」では喜劇的演技にも才能を発揮。同年「霧と影」で映画初主演。38年五社が演出を担当したドラマ「三匹の侍」にも主演してスターとしての地位を確立。以来、豪快で存在感にあふれた、スケールの大きな俳優として数多くの映画に出演、39年篠田正浩監督「暗殺」、小林正樹監督「怪談」、49年野村芳太郎監督「砂の器」などの演技で高い評価を受けた。55年「二百三高地」でブルーリボン賞助演男優賞、日本アカデミー賞最優秀助演男優賞。また36年米映画「太陽にかける橋」で国際的にもデビュー。39年米英合作の「第七の暁」では主人公の友人役に抜擢され、海外でも好評を博した。42年には英国の人気スパイ映画〈007〉シリーズの第5作目「007は二度死ぬ」で日本の情報機関のボス・タイガー田中役を演じ、ショーン・コネリーと共演。イタリア映画「五人の軍隊」などにも出演し、三船敏郎に次ぐ国際スターとして活躍した。テレビでは、43年から放送された推理アクション「キイハンター」、50年から始まった刑事ドラマ「Gメン’75」でボス役を演じ、「Gメン’75」では丹波を中心にメンバーが横一列に並ぶオープニングが視聴者に強い印象を残した。映画「日本沈没」での総理大臣役など、組織の重鎮や兄貴分といった役を本領とし、実生活の上でも、豪放で天性の明るい性格から“ボス”の愛称で俳優仲間から慕われた。一方、“霊界の宣伝マン”を自称して死後の世界の存在を説き続けたことでも有名で、約70冊にのぼる著述の発行部数は250万部に及び、総監督としてベストセラーとなった自著を映画化した「丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる」「丹波哲郎の大霊界2 死んだらおどろいた!!」は300万人を動員するヒット作となった。他の出演作に映画「十三人の刺客」「戦争と人間」「人間革命」「新幹線大爆破」「不毛地帯」「八甲田山」「柳生一族の陰謀」「皇帝のいない八月」「連合艦隊」「大日本帝国」「日本海大海戦 海ゆかば」「零戦燃ゆ」「空海」「首都消失」「学校IV」、ドラマ「アイフル大作戦」「黄金の日日」「獅子の時代」「峠の群像」「真田太平記」「春日局」「HOTEL」「走らんか!」「痛快!三匹のご隠居」「利家とまつ」「義経」など。映画では写真出演した「日本沈没」(平成18年)が遺作となった。長男は俳優の丹波義隆。
- 受賞
- ブルーリボン賞助演男優賞(昭55年度)「二百三高地」,日本アカデミー賞最優秀助演男優賞(昭55年度)「二百三高地」,日本文芸大賞(大賞特別賞 第14回)〔平成6年〕,日刊スポーツ映画大賞助演男優賞(第13回)〔平成12年〕「学校IV」,映画の日特別功労章(第51回)〔平成18年〕 毎日映画コンクール男優演技賞(昭48年度)「人間革命」
- 没年月日
- 平成18年 9月24日 (2006年)
- 家族
- 長男=丹波 義隆(俳優),息子=森 正樹(俳優),祖父=丹波 敬三(東京帝国大学名誉教授),父=丹波 二郎(日本画家)
- 伝記
- 丹波哲郎の「霊界地図」の研究鬼平犯科帳人情咄―私と「長谷川平蔵」の30年映画極道(スクリーンマフィア)物語―映画の舞台裏(しかけ)お見せします アポカリプス21研究会 著高瀬 昌弘 著日本映画助監督協会 編(発行元 シーエイチシー,コアラブックス〔発売〕文芸春秋ダイナミックセラーズ ’06’03’88発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報