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長谷川平蔵 ハセガワヘイゾウ

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デジタル大辞泉の解説

はせがわ‐へいぞう〔はせがはヘイザウ〕【長谷川平蔵】

[1745~1795]江戸後期の幕臣。名は宣以(のぶため)。先手弓頭となり、火付盗賊改を加役としてつとめた。老中松平定信の命により、人足寄場(にんそくよせば)の設置を献策。

出典|小学館
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百科事典マイペディアの解説

長谷川平蔵【はせがわへいぞう】

江戸幕府の役人。諱(いみな)は宣以(のぶため)。火付盗賊改役平蔵宣雄(のぶお)(のち京都町奉行)の子。1787年火付盗賊改を加役される。1789年松平定信に無宿人対策として寄場建設を建議,1790年人足寄場取扱を兼務,業績をあげた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

長谷川平蔵 はせがわ-へいぞう

1745-1795 江戸時代中期-後期の武士。
延享2年生まれ。幕臣で先手弓頭(さきてゆみがしら)をつとめ,天明7年(1787)から火付(ひつけ)盗賊改(あらため)を加役された。寛政の改革のとき老中松平定信に無宿人対策として人足寄場(よせば)建設を提案し,実現させた。池波正太郎「鬼平(おにへい)犯科帳」のモデル。寛政7年5月10日死去(「寛政重修諸家譜」「徳川実紀」では5月19日)。51歳。江戸出身。名は宣以(のぶため)。

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朝日日本歴史人物事典の解説

長谷川平蔵

没年:寛政7.5.19(1795.7.5)
生年:延享2(1745)
江戸後期の旗本400石。名は宣以。初代平蔵宣雄(生年不詳~1773)の子。宣雄は西ノ丸書院番から小十人頭,先手弓頭を経て京都町奉行までなり,備中守を称した。2代目平蔵宣以は西ノ丸書院番,西ノ丸徒頭を経て天明6(1786)年先手弓頭となり,7年火付盗賊改の加役を命じられる。下情に通じ盗賊逮捕に実績を上げた。寛政改革のさなか武家屋敷を騒がせていた盗賊事件では先手の総動員となったが,平蔵が首領大松五郎(葵小僧)を捕縛し事態を収めた。また当時問題化していた無宿人収容のために,石川島の人足寄場建設を老中松平定信に建議し,寛政2(1790)年より同4年まで人足寄場取扱を兼務した。定信は平蔵を評して,「利益を貪る山師のような姦物と悪評が高いが,それぐらいでなければ盗賊逮捕などは出来るものではない」と述べている。在職のまま没した。<参考文献>竹内誠「江戸盗妖騒動の政治的影響」(『徳川林政史研究所研究紀要』1978年),滝川政次郎長谷川平蔵

(針谷武志)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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江戸・東京人物辞典の解説

長谷川平蔵

1745〜1795(延享2〜寛政7)【火付盗賊改】火付盗賊改め鬼の平蔵、実は、仏の平蔵? 旗本長谷川宣雄の子。名は宣以。1787年、火付盗賊改の加役を命じられた。江戸市中を巡回し、火災防止や盗賊・博徒の捕縛を役目とするが、平蔵は特に盗賊逮捕に目覚しい実績を上げた。功利主義の山師などの悪評もある一方、乞食に施しをする慈悲深い人柄を伝える資料もあり、無宿人対策として石川島の人足寄場建設を老中松平定信に建議するなど、弱者への気配りを見せる面もある。

出典|財団法人まちみらい千代田
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世界大百科事典 第2版の解説

はせがわへいぞう【長谷川平蔵】

1745‐95(延享2‐寛政7)
江戸幕府の役人。諱(いみな)は宣以(のぶため)。老中松平定信の下で人足寄場を創設した。平蔵宣雄(後の京都町奉行)の嫡子として生まれ,西丸書院番を経て1786年(天明6)先手弓頭,翌年火付盗賊改加役を命ぜられる。89年(寛政1)定信が無宿人対策のため,数年前存在した無宿養育所に類する施設の開設を発案したとき,平蔵はみずからその任を引き受けることを申し出て具体案を上申し,定信とともにプランを作成した。翌年2月正式に人足寄場取扱を命ぜられ3ヵ月弱で施設を完成,収容者に生活を賄うに足る収入の得られる作業を与え,寛厳要を得た取扱いによって彼らの更生に努めた。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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大辞林 第三版の解説

はせがわへいぞう【長谷川平蔵】

1745~1795) 江戸中期の幕臣。御先手弓頭・火付盗賊改。老中松平定信の命で石川島人足寄場建設を建議。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

長谷川平蔵
はせがわへいぞう
(1745―1795)

江戸後期の旗本。幼名銕三郎(てつさぶろう)、諱(いみな)は宣以(のぶため)。火付(ひつけ)盗賊改(あらため)役(火盗改(かとうあらため))長谷川宣雄(のぶお)の子。1773年(安永2)父の死にあい小普請組(こぶしんぐみ)入りするが、当時の平蔵は「本所の銕」とよばれるほどの放蕩(ほうとう)ぶりであった。しかし、翌年江戸城西の丸書院番士となって以降は順調に昇進し、86年(天明6)に先手弓頭(さきてゆみがしら)、その翌年には火盗改の加役(かやく)を命ぜられた。また平蔵は、老中松平定信(さだのぶ)の命により、江戸市中の無宿人を収容して授産事業を行うための人足寄場建設を建議している。90年(寛政2)には人足寄場取扱を命ぜられるが、2年後に罷免、95年の死まで火盗改役に専念した。晩年は、賞罰の公正さにより世人から「今(いま)大岡」(名奉行(ぶぎょう)大岡越前守(えちぜんのかみ)忠相(ただすけ)の再来)と称されたという。近年、火盗改役としての彼の活躍は、池波正太郎の『鬼平(おにへい)犯科帳』などで有名だが、父宣雄の業績と混同されているものが少なくない。法名海雲院殿光遠日耀居士。四谷(よつや)の戒行寺に葬られたが、墓石は現在伝わらない。[馬場 章]
『瀧川政次郎著『長谷川平蔵――その生涯と人足寄場』(1975・朝日新聞社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内の長谷川平蔵の言及

【人足寄場】より

…のち実質上,近代的自由刑の原初的形態たる性格をもつに至った。 老中松平定信が,1780年(安永9)ごろ数年間のみ存在した南町奉行所の無宿養育所の先例などをヒントに,無宿収容施設の開設を発案し,これに対して火付盗賊改長谷川平蔵宣以(のぶため)がみずから実施を申し出,両者の間で具体案が練られたのち,平蔵が創設の業務にあたった。当初寄場に収容されたのは,まったく犯罪を犯したことのない無罪の無宿,および入墨などの刑を受けた前科のある無宿である。…

【無宿】より

…無宿人が江戸などの都市およびその近在に多数徘徊し,社会不安を起こすようになったのは18世紀後半の田沼時代からで,幕府は1778年(安永7)無宿人を捕らえて再犯のおそれある者は懲らしめのため佐州水替人足(佐渡金山の水替人足)に使役することを始め,以来数次にわたり長崎,大坂などの無宿を含めて佐渡送りにしている。また1790年(寛政2)には火付盗賊改長谷川平蔵の建議によって,無罪の無宿人に生業を与えて更生させるための施設として江戸佃島に人足寄場(にんそくよせば)を設け,油絞りなどの手業を習役労働させ,身元引受人さえあれば出所を許した。しかし,これらはいずれも対症療法としても手ぬるく,効果はほとんど上がらなかった。…

※「長谷川平蔵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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