久留美荘(読み)くるみのしょう

百科事典マイペディア 「久留美荘」の意味・わかりやすい解説

久留美荘【くるみのしょう】

播磨国美嚢(みなぎ)郡にあった荘園で,現在の兵庫県三木市久留美を中心とする一帯比定。具留美などとも書く。鎌倉〜南北朝期には九条家領,その後は奈良春日社領。14世紀初頭には定田75町3反余で,年貢82石余が海路九条家へ運ばれた。1308年当荘近行名は地頭和与中分となり,1333年には利松名に対する地頭乱妨が停止されている。1339年九条房実の子,大乗院門跡孝覚は当荘を春日社へ寄進した。その後も地頭による蚕食は続き,1447年には春日社は直務幕府に訴えている。戦国大名別所氏の台頭によって領国化され,荘園としての実体は失ったとみられるが,1570年ころまでは存在が認められる。

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改訂新版 世界大百科事典 「久留美荘」の意味・わかりやすい解説

久留美荘 (くるみのしょう)

播磨国美囊郡にあった大乗院・春日社領荘園で,現在の兵庫県三木市久留美を中心に長屋跡部に及ぶ地域を占める。1305年(嘉元3)の領家方年貢米散用状によれば定田75町3反余で,真清名は地頭が年来押領し,長屋は地頭と中分,跡部は地頭請所になっており,定米82石7斗余の年貢は海路より奈良に運ばれたという。近行名は08年(延慶1)地頭と和与中分が行われており,33年(元弘3)には利松名の地頭の濫妨を止める後醍醐天皇綸旨(りんじ)が出されている。このように久留美荘は名(みよう)または村単位に分断されて地頭非法の蚕食を受けた。しかし興福寺大乗院や春日社が室町時代にもなお領家として年貢を徴収できたことは《大乗院寺社雑事記》や春日社の社家記録からうかがえる。戦国大名別所氏の台頭によってその領国化され,荘園としての実体を失った。
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