亀田城(読み)かめだじょう

日本の城がわかる事典 「亀田城」の解説

かめだじょう【亀田城】

秋田県由利本荘市(旧岩城町)にあった江戸時代の城。亀田一帯は、市内高城山にあった赤尾津城(天鷺城とも呼ばれる)を居城とした豪族、赤尾津氏が領有していたが、1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いののち、由利郡は最上義光の所領として組み入れられ、その家臣の楯岡満茂の領地となった。しかし、最上氏は1622年(元和8)に改易となり、本多正純を経て、1623年(元和9)には、信濃川中島から当地に国替えとなった岩城吉隆を藩主とする亀田藩2万石の所領となった。吉隆はその翌年国入りし、検地と城と城下の整備を開始したが、すでにあった赤尾津城は居城とせず、本家・分家、本藩・支藩の関係にあった佐竹氏の秋田藩の支援を受けて、高城山の中腹に新たに陣屋を築き藩主の居城・政庁とした。以後、亀田城は岩城氏代々を城主として明治維新を迎えた。陣屋は藩主の邸宅として使われた上段の郭、政庁や倉庫、家人の居住区となっていた下段の郭の2つで構成され、陣屋の前には濠がつくられ、衣川外堀代わりに利用されたといわれる。なお、吉隆が築いたのが正規の城ではなく陣屋だったのは無城主格大名という待遇だったためだが、幕末の1852年(嘉永5)、8代藩主・岩城隆喜が城主格の大名に昇格したことから、晴れて亀田城と呼ばれるようになった。しかし、亀田城は1868年(明治1)、官軍の攻撃を受けて全焼したため現存していない。城跡は現在、小学校と神社の境内、亀田城美術館の敷地となっており、土塁と思われる遺構がわずかに残っている。現在ある天鷺(あまさぎ)城は模擬天守閣で、本来の亀田城は天守を持たなかった。また、亀田城美術館にあるのも模擬大手門で、亀田城はこうした大手門や石垣も持たなかった。なお、模擬天守閣内には亀田および亀田城の歴史に関する展示がある。JR羽越本線羽後亀田駅からバスで亀田大町下車、徒歩10分。◇亀田陣屋、天鷺城とも呼ばれる。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

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