日本歴史地名大系 「二本松町」の解説 二本松町にほんまつちよう 大阪府:大阪市西区二本松町[現在地名]西区北堀江(きたほりえ)四丁目宮川(みやがわ)町の西、北堀江五丁目の北にあり、やや鉤形に南北に延びる両側町。堀江新地の開発以前から成立しており、もとは山城伏見(ふしみ)から大坂城玉造(たまつくり)門外(現東区)に移った町で(初発言上候帳面写)、承応(一六五二―五五)頃当地に移った新玉造(しんたまつくり)八町の一町。明暦―寛文年間(一六五五―七三)の近世大坂地図では新玉造八町は溝渠で囲まれており、当町は三丁目まであったが、元禄一一年(一六九八)の堀江川開削によって三丁目はその南の葉山(はやま)町(当地に移転したときは越中町)とともに失われ、以後は単に二本松町とだけ記されるようになった。 二本松町にほんまつちよう 京都市:上京区出水学区二本松町上京区下長者町通土屋町西入東西に通る下長者町(しもちようじやまち)通を挟む両側町。町の東は土屋町(つちやまち)通。平安京大内裏の「縫殿寮」から「内蔵寮」にかけての跡地(「拾芥抄」の宮城指図)。近世の聚楽第(じゆらくだい)遺構では西外郭の水堀跡にあたる。寛永一四年(一六三七)洛中絵図では野畑だが、承応二年(一六五三)新改洛陽並洛外之図には「二本松丁」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報