日本歴史地名大系 「二条河原」の解説 二条河原にじようがわら 京都市:中京区銅駝学区二条河原鴨(かも)川に架かる二条大橋の南北の地をいう。建武元年(一三三四)八月、建武新政の混乱と当時の世相を諷刺した落首が当河原に立てられたが、これを「二条河原落首(にじようがわららくしゆ)」(建武年間記)と称す。<資料は省略されています>この落首は、作者不詳であるが、京洛の風俗、人情を活写し、当時の政治、世相を知り得る貴重な資料である。また「太平記」巻一五によれば、当地は、延元元年(一三三六)足利尊氏と新田義貞・楠正成・名和長年の官軍とが合戦を展開した。その様子を「三万余騎ヲ三手ニ分ケ、双林寺・将軍塚・法勝寺ノ前ヨリ、中黒ノ旗五十余流差セテ、二条河原ニ雲霞ノ如クニ打囲タル敵ノ中ヲ、真横様ニ懸通リテ」と記している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報