建武年間記(読み)ケンムネンカンキ

デジタル大辞泉 「建武年間記」の意味・読み・例文・類語

けんむねんかんき【建武年間記】

室町初期の記録書。1巻。著者成立年未詳。建武政府が発布した法令や、建武政権下の世相を風刺した「二条河原落書」などを収める。建武記

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改訂新版 世界大百科事典 「建武年間記」の意味・わかりやすい解説

建武年間記 (けんむねんかんき)

《建武記》ともいう。建武政府の法令の大部分や,恩賞方などの職員交名(きようみよう),それに有名な〈二条河原落書〉などを集積した記録で,建武時代の根本史料である。筆者については,末尾に収められた雑訴決断所のあて名から松田氏とする説,写本の奥書から太田氏とする説などがあり,定説はないが,新政崩壊後まもなくの成立であろう。冒頭に〈建武二〉と注記された法令群はおそらく元年初めのものと推定され,あとほぼ年代順に配列されている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「建武年間記」の意味・わかりやすい解説

建武年間記
けんむねんかんき

『建武二年記』『建武記』とも称する。1巻。後醍醐(ごだいご)天皇の建武政府によって定められた「綸旨遵行事(りんじじゅんぎょうのこと)」など、一般政務の条目、雑訴決断所牒(ざっそけつだんしょちょう)のほか、奥州式評定衆(おうしゅうしきひょうじょうしゅう)、恩賞方(おんしょうがた)・記録所(きろくしょ)の寄人(よりゅうど)、武者所結番交名(むしゃどころけちばんきょうみょう)、二条河原落書(にじょうがわららくしょ)などを収める。建武式目と対比検討することによって、建武政治理念を知ることができる基本史料の一つである。とくに、「此比(このごろ)都ニハヤルモノ」と始まる二条河原落書は、建武政府の内実や、当時の風俗、世相などを鋭く風刺したものとして著名である。『改定史籍集覧 17』『群書類従 雑部』に収められている。

[佐藤和彦]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「建武年間記」の意味・わかりやすい解説

建武年間記
けんむねんかんき

『建武記』『建武二年記』ともいう。建武1 (1334) 年から延元1=建武3 (36) 年までの記録。1巻。建武2 (35) 年頃の作と思われる。建武中興政府の定めた規定数十ヵ条,雑訴決断所牒および二条河原落書の3書から成る。前2者は『建武式目』とともに新政府の政体や姿勢を考えるのに役立つ。後者は当時の世相のみならず新政府をも揶揄しており,中興の実態と本質を探るのに貴重な史料である。『群書類従』『史籍集覧』所収。

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百科事典マイペディア 「建武年間記」の意味・わかりやすい解説

建武年間記【けんむねんかんき】

建武政府の諸法令や,恩賞方などの職員交名,政治・訴訟の記録,〈二条河原(ちじょうかわら)落書〉などを集めた書。《建武記》とも。建武新政崩壊後まもなく成立,雑訴決断所(ざっそけつだんしょ)奉公人松田氏,あるいは太田氏の筆とする説がある。

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旺文社日本史事典 三訂版 「建武年間記」の解説

建武年間記
けんむねんかんき

南北朝時代の記録書
『建武令』『建武記』ともいう。著者・成立年代不明。建武新政府の発布した荘園所領に関する法制,雑訴決断所牒,有名な二条河原落書など政務に関する数十カ条を収録。建武の新政の実態を知るうえで重要な史料である。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「建武年間記」の解説

建武年間記
けんむねんかんき

建武記(けんむき)

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