日本歴史地名大系 「赤穂城下」の解説
赤穂城下
あこうじようか
江戸時代の赤穂藩の城下町で、赤穂城の北から北西に展開する。
昔
〔池田氏時代〕
慶長五年(一六〇〇)播磨一国が姫路城主池田輝政領となり、当地には末弟池田長政が配され、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
江戸時代の赤穂藩の城下町で、赤穂城の北から北西に展開する。
昔
慶長五年(一六〇〇)播磨一国が姫路城主池田輝政領となり、当地には末弟池田長政が配され、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
…赤穂城跡はわずかに石垣,堀などが遺構を伝えるのみであるが,浅野氏の菩提寺の花岳寺や大石神社が観光の拠点で,12月14日の義士祭には討入り装束の行列が町を練り歩く。【小森 星児】
[赤穂城下]
播磨国赤穂郡の城下町加里屋を指す。15世紀岡豊前守光広が千種川の当時の本流熊見川の河口港中村を掌握するため,その西方,川の対岸に初めてとりでを築いた。…
※「赤穂城下」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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