五本松村(読み)ごほんまつむら

日本歴史地名大系 「五本松村」の解説

五本松村
ごほんまつむら

[現在地名]浪岡町五本松

浪岡川の中流右岸に位置し、東は王余魚沢かれいざわ村、西南浪岡村、北は長沼ながぬま村・杉沢すぎさわ村および山を隔てて孫内まごない(現青森市)と接する。

寛文四年(一六六四)の高辻帳や貞享元年(一六八四)の郷村帳に村名がみえず、天和四年(一六八四)の書上帳の絵図七日町なぬかまち村として、浪岡村の支村とある。貞享四年の検地帳でも浪岡村の支村として、村高二九八・〇三石、うち田方二町八反三畝二二歩、二〇・二二九石、畑方一〇五町一反一畝、二七七・八〇一石とある。「津軽信政公事績」によれば、元禄二年(一六八九)藩より浪岡村・本郷ほんごう村とともに山に松を植え、山守二人を出すように命ぜられ、同一〇年には五本松村の野山より大釈迦だいしやか山に松苗二三万本の植付が命ぜられた。元禄三年には浪岡組に属し、村位は上(平山日記)。享保一一年(一七二六)浪岡村より独立した(「村名改称并新村創立調」八木橋文庫蔵)。天明大飢饉前は家数三六だったが、寛政二年(一七九〇)にはわずか六軒になった(北行日記)


五本松村
ごほんまつむら

[現在地名]砥部町五本松

砥部川中流左岸の山麓に位置し、北は北川毛きたかわげ村、東は大南おおみなみ村、西から南へ外山とやま村、両沢りようざわ(現伊予市)に接する。

寛永一二年(一六三五)松山藩領から大洲藩領となったいわゆる「御替地おかえち」に属し、江戸時代を通じ大洲藩領、浮穴うけな郡砥部郷一九村の一である。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)浮穴郡の項に「五本松村 日損所、小松林少有、芝山有」、高一〇八石八斗五升七合、うち田八〇石二斗六升二合、畠二八石五斗九升五合と記す。元文五年(一七四〇)の「大洲秘録」には、村の特産は「米・夏豆、水精山有り六角八角の小き水晶出ると云ふ」とある。

ここは砥部磁器創業の地で、最初の窯は字上原かんばらに築かれ、安永四年(一七七五)三月には第一回の焼成が行われた。


五本松村
ごほんまつむら

[現在地名]京北町大字五本松

周山しゆうざん一二ヵ村の一。大堰おおい川の支流弓削ゆげ川に沿った山間集落。川をさかのぼれば北に弓削井崎いざき村、南に下れば周山村に達する。東方は山国やまぐに鳥居とりい村、西方下熊田しもくまた村。村内を若狭街道が通る。南方に五本松古墳・大年おおどし古墳群がある。

中世吉富よしとみ新庄に含まれる。慶長七年(一六〇二)幕府領、寛文四年(一六六四)以降丹波国篠山藩領となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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