井口糺(読み)イノクチ タダス

20世紀日本人名事典 「井口糺」の解説

井口 糺
イノクチ タダス

江戸時代末期・明治期の国学者,教育家,祠官



生年
天保14年8月13日(1843年)

没年
明治38(1905)年1月16日

出身地
出羽国久保田中亀ノ丁(秋田県)

別名
名=宗謙

経歴
出羽国久保田藩士で、安政4年(1857年)藩校明徳館に学ぶ。文久2年(1862年)平田鉄胤の門人となり国学や神学を修め、尊王攘夷を唱える。同志らと国学を講じる雷風義塾を創立、慶応4年(1868年)藩論勤王にまとめるため力を尽くした。戊辰戦争に際しては庄内地方戦闘指揮。明治2年上京して皇学所に入り、神仏混淆仕分方参観として神祇官に出仕したが、同年12月藩命により藩校教授となる。6年私塾を開き、皇学・洋学・算術などを教える。7〜13年は森吉山銀山神社や土崎神明社などの祠官、36年から秋田神社の祠官を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「井口糺」の解説

井口糺 いぐち-ただす

1843-1905 幕末-明治時代の武士,教育者。
天保(てんぽう)14年生まれ。出羽(でわ)久保田藩(秋田県)藩士平田銕胤(かねたね)に師事し,雷風義塾の創立にくわわる。藩論を尊王にまとめるため尽力戊辰(ぼしん)戦争で庄内地方の戦闘を指揮した。明治2年藩校明徳館の教授。明治38年1月16日死去。63歳。名は宗謙。姓は「いのくち」ともよむ。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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