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自由 じゆう liberty; freedom; Freiheit; liberté

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

自由
じゆう
liberty; freedom; Freiheit; liberté

一般的には,心のままであること,あるいは外的束縛や強制がないことを意味する。哲学上は,人間が行為する際に一つの対象を必然的に追求するのではなく,それ以外の対象をも選びうる能力をいう。

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デジタル大辞泉の解説

じ‐ゆう〔‐イウ〕【自由】

[名・形動]
自分の意のままに振る舞うことができること。また、そのさま。「自由な時間をもつ」「車を自由にあやつる」「自由の身」
勝手気ままなこと。わがまま。
freedom》哲学で、消極的には他から強制・拘束・妨害などを受けないことをいい、積極的には自主的、主体的に自己自身の本性に従うことをいう。つまり、「…からの自由」と「…への自由」をさす。
法律の範囲内で許容される随意の行為。
[派生]じゆうさ[名]
[補説] 
2013年10月に実施した「あなたの言葉を辞書に載せよう。」キャンペーンでの「自由」への投稿から選ばれた優秀作品。

◆未知なる可能性を持ち、様々なことに対し選択する権利があること。
aiさんの投稿

◆「支配からの離脱」のために勝ち取るべきもの。「自分勝手」と誤用されやすい。
あいらむさんの投稿

◆法律に抵触せず、人に迷惑がかからない範囲であれば何でもしていい状況。
あつこさんの投稿

◆考える時間とそれを実行出来る金銭的余裕がある事。
ゆうちくさんの投稿

◆何ものにも囚われない透明な心持ちでいられる瞬間×時間のこと。
ローテローゼさんの投稿

◆得られた、と思った瞬間に失われてしまうもの。
Riuichi HFさんの投稿

◆無秩序な状態。
おーじさんの投稿

◆その行為、結果すべてにおいて自らが責任を負うことを前提として、何かについて自らが好きに選べる態様を言う。無責任に受け取れる身勝手、好き勝手とは一線を画する。
kaoru3737さんの投稿

◆ある枠組みの中で人間らしく生きる様。意思表示の可能範囲が大きい状態。当事者の内的意思と価値判断によって作用される、当人の置かれた環境の豊かさ。
ツタヤさんの投稿

◆人の目を気にしないこと。
花に蝶さんの投稿

◆世界とのしがらみが少ないこと。
ギンジさんの投稿

◆眠くなったら寝て、目覚めた時にベッドから出る生活。
あぶちゃんさんの投稿

◆好きな時に好きな場所へ行けること。好きな時に会いたい人に会えること。
Henさんの投稿

◆仕事が終わった後の居酒屋で待っているもの。
さんの投稿

◆自分以外の家族全員が1泊2日の旅行に出かけていて、好きなテレビやゲームし放題の状態。だがそれが2泊3日になると寂しさも加味され始め不自由になる。
ともへいさんの投稿

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百科事典マイペディアの解説

自由【じゆう】

英語のfreedomまたはlibertyなどの訳語。基本的には,ある行動の実現に当たって外的障害や拘束のないこと。さらに抽象化すれば一定の因果系列について,その系列に属する原因の働きが,他の因果系列または条件に妨げられないで結果を生むことをいう。

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世界大百科事典 第2版の解説

じゆう【自由 liberty】


[日本における自由の語義]
 中国の古典に見える自由の語には,思うままにふるまう専恣横暴の意味(《後漢書》五行志)と,他から制約・拘束をうけないという意義(《魏志》)との二様の語義があった。日本の古代においてはなお外来語の性格が強く,ほぼ前者の義で用いられているが,中世に入ると〈自由狼藉(ろうぜき)〉〈自由濫吹(らんすい)〉等々,法令・訴陳状・日記などにおいては〈我欲を逞しくし,慣例に背き,不法を行い,専恣横暴の振舞いがある〉というマイナス評価の強い前者の語義が支配的になる。

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大辞林 第三版の解説

じゆう【自由】

( 名 ・形動 ) [文] ナリ 
他からの強制・拘束・支配などを受けないで,自らの意志や本性に従っている・こと(さま)。自らを統御する自律性,内なる必然から行為する自発性などがその内容で,これに関して当の主体の能力・権利・責任などが問題となる。
哲学的な意味では,自らを自律的に統御し,内なる必然から自発的に行為すること。外的自然からの自由,内的自然(理性や意志以外の要因)からの自由,他人による強制からの自由に分かれる。意志の自由とほぼ同義。
社会学的な意味では,社会集団が個人の自律的な判断・決定能力を発展させる構造的条件を備えていること。基本的人権のほか価値・規範体系の整備なども含む。 「 -な社会の実現」
政治的・歴史的には,時代によって異なる内容をもつ。古代ギリシャでは奴隷などと区別されたポリス市民固有の属性,すなわちすぐれたものへの洞察力を意味したが,中世ヨーロッパでは身分的特権の別名であった。近代のリベラルな自由概念は一七世紀の宗教戦争以来成立し,市民革命を経て強化・確立され,宗教的自由から思想・信条の自由が,さらにそこから言論・出版の自由が要請された。この過程で,権力と対立しこれを制約する自由という視点も出てくる。マルクス主義的には,社会全体が解放され,人格の自律が真に達成されることが重要視される。
物事が自分の思うままになるさま。 「三か国語を-にあやつる」 「 -がきく」 「 -になる時間」 「船の進退-ならねば/近世紀聞 延房
わがまま。気まま。 〔「自分の心のままに行動できる状態」の意として漢籍にある。「英華字典」(1847年)に free の訳語としてあり,「英和対訳袖珍辞書」(1862年)に freedom や liberty の訳語として載る〕
[派生] -さ ( 名 )

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

自由
じゆう
liberty

自由とはまず第一に、強制や束縛を受けずに気ままにふるまえることを意味する。旅に出て自由を味わうといった場合の自由は、こうした「……からの自由」であるが、これは動物や事柄にも適用され、たとえば籠(かご)の鳥は不自由だといったり、韻律に束縛されない詩を自由詩とよんだりする。憲法では、さまざまな事柄に関して個人の自由が保障されているが、これもそうした事柄に関して国家や他人からの不当な干渉を排除するという意味では、強制、束縛からの自由とみることができる。
 だが自由には、もう一つ、消極的な「……からの自由」ではなくて、積極的な「……への自由」という意味もある。哲学において選択や決断の自由とよばれるもので、古来この自由は自由意志の問題として論議されてきた。だが「自由意志」については別項で扱うとして、ここで選択や決断の自由を環境や状況との関連でとらえる哲学説に触れると、たとえばシェーラー(1874―1928)は、動物の行動はその環境世界の体制によって一義的に決定されているが、人間は逆に世界に対して無限に公開的に働きかけることができ、ここに人間に独特な自発的自由がみいだされるとする。またニコライ・ハルトマン(1882―1950)によると、人間もまた彼が位置するそのつどの状況によって制約されており、その限りでは人間はまったくの自由ではない。とはいえ、状況は人間をある一つの行為へと決定するのではなく、あれやこれやといった特定のいくつかの行為に関してその選択、決断を強いる。つまり人間は決断へと強制されているが、決断もまた一つの自由である。ハルトマンは、そこで、選択、決断の自由は状況による束縛、拘束と両立しうると考えた。
 視点は異なるが、状況内での自由という考えは、サルトルにもみいだされる。サルトルによると、人間はそのつどの状況において時々刻々自らの実存を自由に創造していかなければならない。つまり自由は状況のうちにのみ存し、また状況は自由によってのみ存在する。また選択、決断の自由を本来の自己への自由とみるヤスパースによると、人間の根源的にして実存的な自由は、人間各自がその現存在において自己自身であろうと決意することのうちに存する。「決意のうちで私は自由を経験し、この自由のうちでは選択と自我との分離は不可能であって、私自身がこの選択の自由である」という。なおマルクス主義は人間の疎外からの自由と解放を説くが、その場合にもその根本には人間の全能力の開花を目ざした本来的人間への自由が置かれているといえよう。[宇都宮芳明]

政治学における自由

人間が人間らしく生きていくうえでもっとも基本的な条件は、精神的にも身体的にもいかなるものからも拘束を受けないということである。したがって、自由とはホッブズも述べているようにまず第一にこの「拘束の欠如」と定義づけることができよう。そして、自由が制限されたり侵害されたりすれば、人間はけっして幸福な状態にあるとはいえないのである。
 自由が、人間の生存にとって重要であるという考えはギリシア・ローマの時代にもあったが、人間が真に自由を獲得できたのは近代に入ってからである。すなわち、17、18世紀の市民革命期に、ホッブズ、ロック、ルソーなどが、人間は生来、自由で平等な存在であるとして、人間の自由を確保できるような政治社会をつくるように提案して以来、自由の重要性が人々の間で認識されるようになった。
 このため近代民主主義国家においては、憲法上、さまざまな人間の自由を保障している。たとえば、「言論・思想の自由」とか「宗教の自由」とかは人間にとってきわめて重要なものであるから、国家権力といえども、それらの自由を制限したり侵害したりできない権利であるとして憲法において保障している。また人を逮捕したり拘禁したりする、つまり人の身体を拘束して自由を奪うような場合には慎重に行われなければならないから、憲法では、「人身(身体)の自由」としてこれらの権利を保障している。さらに、人が労働して形成した財産を国家権力や他人が奪うようなことがあっては社会の安定性は保たれない。憲法において「財産権の保障」という規定が設けられているのはこのためである。これによって人は、自分の労働の成果を自由に処理したり利用したりして快適で安全な生活を送ることができるのである。憲法では、以上に述べたさまざまな自由を「自由権」(「自由権的基本権」)と名づけ、国家権力といえども侵害できない自由として、これらの自由のことを「権力からの自由」ともよんでいる。
 ところで、以上に述べた自由も、専制者や独裁者が現れると侵害される危険性がある。そこで、そうした危険性を防止するためには、政治社会に住んでいる人々が自分たちの意志で代表者や政府を選出し自由や権利を守る必要がある。そのため憲法では、人々に「政治に参加する権利」つまり「政治的自由」を保障している。これらの権利は「参政権」ともよばれるが、人々は、この参政権を行使して真に国民の意志を表明できる代表者を選び、彼らに全成員の利益を実現するような法律をつくらせたり、政治を行わせることによって、人々の自由を保障し、そればかりか、新しい自由さえも獲得しようとするのである。この意味で、政治的自由・政治的権利は、人間が自由で快適に生活していくうえできわめて重要なものであるといえよう。そして、このような権利・自由は、「自由権」を補強するものとして、19世紀の30年代から20世紀の中ごろにかけてしだいに各国憲法において確立されてきたのである。
 ここで、自由を考えていくうえで見落としてならないものは平等との関係である。フランス革命の旗印に「自由・平等・博愛」というスローガンが掲げられたのはなによりもそのことを物語っている。ところがその後、資本主義経済が発展し高度化していく過程で、少数者に富が集中し、また恐慌や不景気が周期的に繰り返されるなかで、大多数の者が失業・貧困などの悪条件に苦しめられ、ここに経済的・社会的弱者の救済という問題が資本主義国家にとって緊急の課題となった。
 マルクスやエンゲルスのような社会主義者たちは、少数者が多数者を組織して生産させ、その利潤や果実を独占的に所有する私有財産制を廃絶し、生産の果実を社会的に共有する経済制度に変えて人間の平等を達成することなしには、人間の自由を真に確立することにはならないと主張した。大多数の者が貧困な状態に置かれ、不安定な生活を強いられていては、本来、自由が目的にしている快適で安全な人間らしい生活は保障されないからである。こうして、第二次世界大戦後、ソ連のほかに、十数か国の社会主義国家がこの地球上に出現したが(もっとも1989年の「冷戦終結宣言」以降、東欧諸国やソ連が社会主義国であることをやめたが)、これらの国々は、マルクスやエンゲルスの唱えた社会主義によってその国づくりを行い、それぞれの憲法においては、自由権や参政権の規定のほかに、とくに平等に関する規定が多数盛り込まれているのが特色といえよう。
 これに対し資本主義国家においては、経済制度は変更しないが、その欠陥を修正しつつ自由と平等のバランスを図りながら政治的・経済的安定を実現する方向をとっている。そしてこれらの国々は今日「福祉国家」とよばれている。
 では、これらの国々においては、近代的自由の考えをどのように転換させて「福祉国家」への道を歩むことになったのだろうか。これについては、19世紀中葉から末にかけて活躍したイギリスの哲学者トマス・ヒル・グリーン(1836―82)の思想が重要である。当時イギリスでも貧富の差が拡大し、労働者階級は悲惨な状態に置かれていた。そこで弱者救済のために国家や政府が積極的な施策をとることが強く望まれた。その場合、高額所得者に累進税をかけ、それを財源として公立学校を設けたり、さまざまな社会保障政策をとることなどが論議された。しかし、そのような措置は、自由の重要な柱である個人の財産権を不当に制限するものであるとか、政府が経済活動に介入するのは伝統的な自由放任主義に反するものであるとか、主として有産者の側からさまざまな反対論があった。
 グリーンはこうした状況において、人間にとってもっとも重要なことは「人格の成長」にあるとし、自由はそのための手段である、と述べた。「人格の成長」とは要するに「人間が人間らしく生きる」、ということである。ところが、今日の社会では、自由を目的とすることによって、かえって多くの人々の自由が阻害されている。しかし、目的は手段に優先するから、「人格の成長」を実現するためには、「自由」が制限されることもやむをえない、というのがグリーンの提言であった。このグリーンの「コロンブスの卵」的な「自由」の観念の転換によって、以後、イギリスの政治は福祉国家の方向へと大きく前進した。
 今日、世界の国々の憲法において、社会や公共の利益のためには個人自由の制限もある程度やむなしとする「社会権」(「社会権的基本権」)的規定が盛り込まれているのはそのためである。そして、こうした社会権的考え方を最初に規定した憲法は1919年の「ワイマール憲法」であった。そこでは、たとえば、「経済生活の秩序は、すべての者に人間たるに値する生活を保障する目的をもつ正義の原則に適合しなければならない。この限界内で、個人の経済的自由は、確保されなければならない」(151条1項)、続いて「所有権は義務を伴う。その行使は、同時に公共の福祉に役だつべきである」(同条3項)と規定されている。また日本国憲法第29条「財産権の保障」においても、財産権の保障(自由権)と同時に公共福祉による制限(社会権)の規定が並列されている。したがって、現代国家においては、「自由」と「平等」は離れがたく結び付いているといえよう。[田中 浩]
『H・J・ラスキ著、飯坂良明訳『近代国家における自由』(1950・岩波書店) ▽E・フロム著、日高六郎訳『自由からの逃走』(1951・東京創元社) ▽田中浩著『国家と個人』(1990・岩波書店)』

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世界大百科事典内の自由の言及

【愛】より

… 〈自分自身の(もの)〉だから〈いとしい〉という発想は,ほかにもあり,サンスクリット語〈priya(いとしい)〉〈preman(愛)〉がその例であるが,〈priyā(いとしいもの,形容詞・女性形)〉に対応するものとして,北欧や古代高地ドイツ語の女神名〈Frigg〉〈Frīja〉があり,英語の〈Friday(金曜日)〉に名残りをとどめる。また,〈自分自身の(からだ)〉だから,奴隷でなく〈自由〉だというのが,英語,ドイツ語〈free〉〈frei〉(自由な)の原義であり,〈自分の(側に立つ人)〉というのが,英語,ドイツ語〈friend〉〈Freund〉(友人)の本義である。 ギリシア語〈agapē(愛)〉は,動詞〈agapaō(好意をもつ・愛情をもつ・好む・満足する)〉から,比較的おそく造られた語で,〈性愛〉であることはまれだったので,新約の用語として採用された。…

【宗教改革】より

…彼の福音主義は,さらに広く市民層から農民層にまで及ぶ国民的な世論を獲得するにいたるが,そこには当時急速に発展しつつあった印刷術の力が大きく働いており,ルター自身この手段を存分に活用して,多くの著述や論争文,説教を公にした。とりわけ歴史的に重要な意味をもつのは,20年の夏から秋にかけて次々に書かれたいわゆる三大改革論,《キリスト教界の改善について,ドイツ国民のキリスト教貴族に与う》《教会のバビロン捕囚》《キリスト者の自由》である。 《ドイツ国民のキリスト教貴族に与う》は,ルターが初めてドイツ人としての国民意識に立って,ローマ教皇勢力によるあくどい財政的収奪や,聖職売買,そのほか国民生活を圧迫し正しい信仰をそこなうさまざまな悪弊を列挙し,教会当局者が無能を暴露している現在,統治権力を神にゆだねられた貴族(実際には領邦君主たるドイツ諸侯)に,教会生活全般の改革をたすけるよう呼びかけたものである。…

【十楽】より

…同様の例として〈一楽名〉も見られるが,このように広く庶民の間で用いられるにつれて,十楽は楽に力点を置いて理解されるようになる。戦国時代,諸国の商人の自由な取引の場となった伊勢の桑名,松坂を〈十楽の津〉〈十楽〉の町といい,関,渡しにおける交通税を免除された商人の集まる市(いち)で,不入権を持ち,地子を免除され,債務や主従の縁の切れるアジールでもあった市を〈楽市〉〈楽市場〉といったように,〈十楽〉〈楽〉は中世における自由を,十分ではないにせよ表現する語となった。〈楽雑談〉〈楽書〉などはみなその意味であり,織田信長はこの動きをとりこみ,みずから安土(あづち)に楽市を設定している(楽市・楽座)。…

【道徳】より

…それらから区別されて,まさしく人間としての人間の内面的なあるべきあり方がその純粋形態において自覚されるにいたるとき,道徳としての道徳という問題が成立する。この問題の最も基本的な原理は自由の問題である。なぜなら,道徳は単なる自然存在の理法とは異なり,人間存在のあるべきあり方に関するものであるが,この当為(べき)は自由を前提にして初めて成り立ちうるからである。…

【倫理学】より

…そこでは学は自然学ta physika,倫理学ta ēthika,論理学ta logikaという三つに分類された。カントもこの分類の正しさを承認したうえで,自然学と倫理学との関係について,自然学は自然の必然的法則を取り扱うのに対して,倫理学は自由の法則(すなわち当為)を取り扱うというように両者を対照させている。この意味では倫理学は人間存在についてのある包括的・原理的な学である。…

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