今井似閑(読み)いまい・じかん

朝日日本歴史人物事典「今井似閑」の解説

今井似閑

年:享保8.10.4(1723.11.1)
生年:明暦3(1657)
江戸初期の国学者。初め小四郎といい,のち大字屋市兵衛と称した。号は見牛または偃鼠亭。「自閑」とも書く。京都の富豪今井家の3男。次兄の家督下に家運が傾いたため,似閑は学問を中途にして,商売の挽回に努めた。20年後,復旧に成功するや東山へ隠居し,後半生は学業を再開して,古典学に打ち込んだ。木瀬三之下河辺長流にも師事したが,元禄8(1695)年ごろに,契沖に教えを請うた。9年,契沖がその名『万葉代匠記』初稿を基礎的材料に行った講義は似閑らの求めに応じたものだったらしい。師の亡くなる年(1701)まで,その業を助け,終始,万葉集考証をその学問の中核とした。注釈書『万葉緯』(20巻,1717年完成か)以外の自著は知られないが,その編集や校合にかかるものは多い。なお晩年に,自らが集めた契沖の手沢本を含めおびただしい写本などを上賀茂神社三手文庫に奉納し,保存を図った功績は大とすべきである。墓所は京都東山黒谷にある。<参考文献>久松潜一『契沖伝』

(ロバート・キャンベル)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus「今井似閑」の解説

今井似閑 いまい-じかん

1657-1723 江戸時代前期-中期国学者。
明暦3年生まれ。京都の商人。下河辺長流(しもこうべ-ちょうりゅう),木瀬三之(きせ-さんし)にまなぶ。ついで契沖に師事し,その業績を後世にのこすために尽力。上賀茂神社に契沖関係の蔵書を奉納した。享保(きょうほう)8年10月4日死去。67歳。通称は小四郎,大字屋市兵衛。号は見牛,偃鼠亭(えんそてい)など。編著に「万葉緯」「風土記逸文」など。

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精選版 日本国語大辞典「今井似閑」の解説

いまい‐じかん【今井似閑】

江戸前期の国学者。京都の人。通称小四郎。号は自閑。また大字屋市兵衛とも称す。別号見牛、偃鼠亭。国学を下河辺長流(しもこうべちょうりゅう)、契沖に学び、「万葉集」を研究。著「万葉緯」「逸風土記」など。明暦三~享保八年(一六五七‐一七二三

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「今井似閑」の解説

今井似閑
いまいじかん

[生]明暦3(1657).京都
[没]享保8(1723).10.4.
江戸時代中期の国学者。商家の出。大字屋市兵衛,播磨屋善兵衛と称す。下河辺長流,契沖らに学ぶ。『万葉集』の研究に没頭著書『万葉緯』『逸文風土記』。

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世界大百科事典 第2版「今井似閑」の解説

いまいじかん【今井似閑】

1657‐1723(明暦3‐享保8)
江戸中期の国学者。通称小四郎,別に見牛,偃鼠亭と号す。大字屋市兵衛と称する京都の商人。かたわら水戸藩に仕え,木瀬三之,下河辺長流,契沖に国学を学ぶ。隠居後は阿仏尼の旧庵に住んで学事にいそしみ,とくに師契沖の顕彰に尽力した。その蔵書は,晩年に上賀茂神社の三手文庫に寄進され,自筆本なども含めた契沖関係資料の宝庫として今日におよぶ。《万葉緯》を著し,〈逸文風土記〉をあつめた学績は顕著である。【鈴木

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