百科事典マイペディア 「今富荘」の意味・わかりやすい解説
今富荘【いまとみのしょう】
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若狭国の荘園。中心部は現,福井県小浜市内。本来は国衙税所(さいしよ)の別名(べちみよう)で,税所今富名と呼ばれた。1265年(文永2)3月の遠敷(おにゆう)郡中手西・同東両郷の検田取帳案に名称が載るのが史料上の初見。同年11月の若狭国惣田数帳写によれば,田数55町100歩にのぼり,このうち富田郷の37町5反120歩を中心に,志万・中手西・同東の遠敷郡内諸郷に計51町280歩が散在,残余は三方(みかた)・大飯(おおい)両郡に属した(以上東寺百合文書)。この名の領主には鎌倉期以来ほぼ一貫して当国守護が補せられ,鎌倉中・後期約1世紀間は北条氏得宗,頻繁に守護が交替した南北朝期をはさんで,室町・戦国期には一色氏ついで武田氏が伝領,その下で税所代・公文(くもん)などが置かれて所務にたずさわった。《明徳記》には山名氏の〈分国ノ内ノ大庄〉として〈若狭ノ国在所稲積(一本に今富)ノ庄〉と出現,《建内記》にも〈供御料所若狭国小浜今富庄〉と見え,室町期には荘号をもって呼ばれ,また皇室領となっていたことが判明する。1517年(永正14)12月4日の武田元信奉行人南部家行奉書に〈税所今富〉とあるのが最終所見(羽賀寺文書)。
執筆者:須磨 千穎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…1265年(文永2)3月の若狭中手西郷検田取帳案の朱注や,同11月の若狭国惣田数帳写に記されているのが地名の早い所見(東寺百合文書)。中世の小浜は,国衙税所(さいしよ)領今富名(いまとみみよう)(今富荘)に属し,この名は若狭守護が伝領して,ここを支配の拠点としたところから,一国の政治・文化の中心となり,重要港湾として経済的発達も著しかった。鎌倉期には,初期の津々見氏のあと北条氏嫡流(得宗)が守護職を相伝,南北朝期にはしばしば守護が交替したが,1366年(正平21∥貞治5)以後は,一色氏が4代にわたって守護となる。…
※「今富荘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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