今川村(読み)いまがわむら

日本歴史地名大系 「今川村」の解説

今川村
いまがわむら

[現在地名]刈谷市今川町

東海道沿いの街村。南は逢妻あいづま川をもって築地ついじ村と境し、西をさかい川が流れる。泉田いずみだ村の出郷。東海道が整備され、街道沿いに茶店が多くなって泉田村から分郷したという。元禄一四年(一七〇一)の三河石高図には「泉田村之内茶屋町」とあり、まだ一村をなしていない。享保八年(一七二三)に至って八〇戸を数えたので分郷を願出て、同一六年に隣村との境界を定めて独立した。


今川村
いまがわむら

[現在地名]岐阜市今川・大学西だいがくにし大学北だいがくきた柳戸やなぎと

古市場ふるいちば村の北、交人ましと村の南に位置。天正年間(一五七三―九二)に成立したとされる(「深坂大明神祭礼儀式由来帳」伊藤文書)慶長郷帳に村名がみえ、高四一一石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳でも同高で奥平忠隆(加納藩)領。同藩の家中知行渡方帳(森文書)によれば家臣一〇名の給地。正保郷帳では田二三七石余・畑一六一石余・紙桑木高一二石余・野年貢五斗で幕府領。宝永二年(一七〇五)高富藩領となり幕末に至る。安永三年(一七七四)の奉公人改帳(大野文書)によれば奉公人は九人で、名古屋・江戸のほか、多くは近隣の農村に出奉公している。


今川村
いまがわむら

[現在地名]長浜市今川町

宮川みやがわ村・大東おおひがし村の東にある。応永一一年(一四〇四)一二月二七日の今河浄円売券(大原観音寺文書)端裏書に「今河保田殿売券」とある。天正三年(一五七五)羽柴秀吉は当地などの年貢半租を命じている(三月三日「羽柴秀吉書状」清水文書)。寛永石高帳に高六七八石余とあり、彦根藩領。寛文四年(一六六四)の彦根領分高帳(間塚文書)には村名がみえない。


今川村
いまがわむら

[現在地名]山北町今川

蒲萄ぶどう(七九五・四メートル)から西へ流れ下る今川の河口左岸にあり、西は日本海に面する。文禄(一五九二―九六)頃の瀬波郡絵図に「今川村 下」とのみみえる。南の板貝いたがい村との間の海岸には松の生えた岩山海中巨岩が描かれ、岩山の裾を道が通る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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