今江村(読み)いまえむら

日本歴史地名大系 「今江村」の解説

今江村
いまえむら

[現在地名]小松市今江町

東の木場きば潟、西の今江潟に挟まれ、北は大領だいりよう村・大領中村・須天すあま村・向本折むかいもとおり村、南は矢崎やざき村・串茶屋くしちやや村・串村。北陸街道に沿って発達し、今江潟に沿った地域の水田水害を受けることが多かった。もとは南新保みなみしんぼ・東新保・王院おうのいん阿戸あと稗蒔ひえまき乙師おとしの六村であったが、木場潟から水路を引いて今江潟へ通じさせた時に六村合併して今江村と称したという。

冷泉為広の「越後下向日記」によれば、延徳三年(一四九一)三月一〇日くし野から本折もとおりへ向かう途中、「イチ野左ニ海コシテアタカ見ユ、今宿、リウノ馬場松原」と旧今江潟東岸に沿って北上しており、「今宿」は今江の宿をさすと思われ、また「リウノ馬場」は寛文元年(一六六一)の筆記(加賀志徴)に「龍ケ馬場は往還筋今江村沼田の際を申候」とあり、今江村地内にあった。神官上道家系譜(白山比神社文書)によれば、建久元年(一一九〇)より一八年間白山本宮神主であった上道氏続の次男氏宗は今江二郎大夫、その嫡子氏光は今江弥二郎、三男氏直は今江四郎を称し、氏光の嫡子で、正応元年(一二八八)没の氏有が今江孫二郎と称しており、今江を開発領とする在地領主として上道氏の庶流が展開した。


今江村
いまえむら

[現在地名]入善町今江・古林ふるばやし

東は山崎新やまざきしん村・山王さんのう(現朝日町)、南は舟見野ふなみの村、西は愛場あいば村・島迷しまめぐり村と藤塚ふじづか(現朝日町)。通称上今江・下今江からなり、南北に北陸街道(上街道)が走る。舟見野一六ヵ村の一つで、舟見野の台地の上にあるため開拓は遅れていた。前田利常が加賀国能美のみ郡今江村(現石川県小松市)から明暦二年(一六五六)二〇人の者を移住させ、開拓させた村である。この年利常は百姓らに四三石の飯米、一貫七〇〇匁の家作銀、六〇着の木綿衣類を与え、翌三年にも八〇〇匁の開作馬代銀を与えるなど細かい配慮をしている(国事雑抄)。利常は越中に遣わされた百姓をよんで親しく言葉をかけたともいい、今江村の百姓は利常が江戸に往来する時は、親不知おやしらず(現新潟県青海町)の辺りまで出向いたといわれ、その没後命日には精進し、供御米を差出し続けた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android