伊藤伝七(読み)イトウ デンシチ

20世紀日本人名事典 「伊藤伝七」の解説

伊藤 伝七(10代目)
イトウ デンシチ

明治・大正期の実業家 東洋紡績社長。



生年
嘉永5年6月24日(1852年)

没年
大正13(1924)年8月12日

出生地
伊勢国三重郡宝山村(三重県四日市市)

別名
幼名=清太郎,前名=伝一郎

経歴
酒造家に生まれ、父の死後10代伝七を襲名。綿糸業を志し、明治10年堺勧農所の職工となり、14年郷里で綿糸紡績業(後の三重紡績)を開いた。その後渋沢栄一援助で株式組織とし、20年三重紡績支配人、次いで取締役。名古屋、津に分工場を設立、38年関西紡績と合併、39年津島紡績、大阪西成紡績を買収、40年さらに桑名、知多両紡績を合併、大正3年大阪紡績を合併して東洋紡績と改称副社長、5〜9年社長を務めた。また四日市市商工会議所副会頭なども務め、四日市の企業勃興に尽力した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊藤伝七」の解説

伊藤伝七(10代) いとう-でんしち

1852-1924 明治-大正時代の実業家。
嘉永(かえい)5年6月24日生まれ。9代伊藤伝七の長男堺紡績所で研修。明治13年父らとともに郷里三重県に三重紡績所をおこし,渋沢栄一の支援をえて業務を拡張。大正3年大阪紡績と合併して東洋紡績(現東洋紡)を設立し,副社長,のち社長。貴族院議員。大正13年8月12日死去。73歳。前名は伝一郎。

伊藤伝七(9代) いとう-でんしち

1828-1883 幕末-明治時代の実業家。
文政11年10月25日生まれ。家業酒造業をつぐ。明治13年長男伝一郎(10代伝七)らと三重県最初の機械紡績工場である三重紡績所(現東洋紡)を設立した。明治16年9月28日死去。56歳。伊勢(いせ)(三重県)出身。名は知則(とものり)。前名は伝之右衛門。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「伊藤伝七」の解説

伊藤 伝七(10代目) (いとう でんしち)

生年月日:1852年6月24日
明治時代;大正時代の実業家。東洋紡績社長
1924年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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