伊藤明彦(読み)いとう あきひこ

共同通信ニュース用語解説 「伊藤明彦」の解説

伊藤明彦(いとう・あきひこ)

1936年東京生まれ。44年に長崎に転居。原爆投下の10日後に疎開先から戻り、入市被爆した。長崎放送で68年からラジオ番組「被爆を語る」を担当。退職後の71年に「被爆者の声を記録する会」を結成、私財を投じて被爆者を訪ね歩き、収録した声を基にした音声作品を全国の学校や図書館に寄贈した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊藤明彦」の解説

伊藤明彦 いとう-あきひこ

1936-2009 昭和後期-平成時代のジャーナリスト,「被爆者の声を記録する会」代表。
昭和11年11月5日生まれ。昭和19年長崎に移住,翌年8歳のとき被爆。35年長崎放送に入る。43年ラジオ番組「被爆を語る」を企画,被爆者の声の取材をはじめる。45年社内の配置転換を機に退社して被爆者の声を記録することに専念し,1000人余の証言を集めた。平成18年CD作品「ヒロシマ ナガサキ 私たちは忘れない」を制作して全国の施設に寄贈,同年日本ジャーナリスト会議(JCJ)特別賞。20年吉川英治文化賞。平成21年3月3日死去。72歳。東京都出身。早大卒。

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