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伊達林右衛門(初代) だて りんえもん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

伊達林右衛門(初代) だて-りんえもん

?-1837 江戸時代後期の商人,漁業家。
蝦夷(えぞ)地(北海道)にわたり,江戸との間で産物の輸送をはじめ,寛政5年松前に伊達屋をひらく。場所請負人となり,文化7年7代栖原(すはら)角兵衛と樺太(からふと)漁場をひらいた。天保(てんぽう)8年2月15日死去。陸奥(むつ)伊達郡(福島県)出身。本姓は佐藤。前名は藤吉。

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朝日日本歴史人物事典の解説

伊達林右衛門(初代)

没年:天保8.2.15(1837.3.21)
生年:生年不詳
江戸後期の松前物問屋商人,廻船業者,漁業家。陸奥国伊達郡貝田村(福島県)佐藤半三郎の6男藤吉。吉田林右衛門の養子となり,改称して林右衛門。天明8(1788)年に蝦夷地に渡り,江戸との間を行商し,寛政5(1793)年江戸の両替商・本家伊達浅之助家の支援を受け,松前城下に「伊達屋」を開く。その後本州から食料,貨物を移入し,西蝦夷地増毛,浜益を拠点に鰊・鮭・鱒漁に携わり,漁獲物を本州各地に拡販。さらに文化7(1810)年には樺太漁場を栖原角兵衛と共同で開いた。この間,南部脇野沢(青森県)の山や箱館近郊を開発し,それぞれ伊達山,伊達村と名づけ,文政1(1818)年には栖原家と江差源太夫町を共同開墾し,また幕府の蝦夷地御用達も勤めた。これらの功績により,翌年将軍徳川家斉に謁見した。 択捉・山越内の漁場を請け負い,新道の開通にも貢献した3代は安政1(1854)年,初代以来の功績によって永世松前藩士に列し,勘定奉行に抜擢され,藩主から翁記の名を下賜された。維新後,家運衰退に直面した5代は択捉,宗谷,枝幸などの漁場を栖原家に譲渡し撤退。その栖原家が衰微すると,事業の大部分は三井物産会社に託された。<参考文献>河野常吉資料「伊達家記」(北海道立図書館蔵),北水協会編『北海道漁業志稿』

(田島佳也)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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