ラランド(Joseph Jérôme Lefrançois de Lalande)
ららんど
Joseph Jérôme Lefrançois de Lalande
(1732―1807)
フランスの天文学者。惑星表の作成者。ブールジャン・ブレスに地方郵便局長を父に生まれる。リヨンの学校を経てパリ大学で法律を学んだが、天文学者デリールJoseph-Nicolas Delisle(1688―1768)とル・モニエPierre-Charles Le Monnier(1715―1799)の知遇を得て天文学を修めた。1753年ベルリンおよびパリの科学アカデミー会員となり、1762年コレージュ・ド・フランスの天文学教授、1795年にはパリ天文台長となった。1753年ベルリンに派遣され、南アフリカの喜望峰にいたラカイユとの共同観測により月の地心視差を決定した。ル・モニエとは三体問題で論争したが、デリールには信頼されて、コレージュ・ド・フランスの教授職の後継者に推薦された。また惑星およびハリー彗星(すいせい)の運動理論をクレローらと共同研究し、その結果は惑星位置推算表の作成となって、18世紀末当時もっとも正確なものとされた。台長時代に九等星以上の恒星4万7000個を含むフランス航海暦を作成した。優れた門下を育成したほか、著書『天文講義』(1792)は、そのオランダ語版が日本に渡来し、日本語訳されて江戸時代の西洋天文学の典拠となった。
[島村福太郎]
ラランド(Michel Richard De Lalande)
ららんど
Michel Richard De Lalande
(1657―1726)
フランスの作曲家。パリ生まれ。オルガンなどを学び、パリの教会オルガン奏者を歴任ののち、1683年ベルサイユ宮殿礼拝堂の副音楽監督に就任、ほぼ生涯にわたりこの地位を保ち、ルイ14世時代のベルサイユ宮殿における宗教音楽でもっとも重要な作曲家として活躍。とくに管弦楽、合唱、独唱を織り交ぜた規模の大きさと、優雅な表現とを一致させたグラン・モテgrand motet(大モテット)のスタイルを完成した。また宮殿の祝典などで用いるための合奏音楽、幕間(まくあい)劇など小形式の舞台音楽も作曲している。
[美山良夫]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
ラランド
Joseph Jérôme Lefrançois de Lalande
生没年:1732-1807
フランスの天文学者。イエズス会の学校を出て,パリへ赴き,法律を学ぶ傍ら,天文学,数学に関心を抱き,N.L.deラカイユの喜望峰での観測に呼応して,ベルリンで1751年の月の視差観測に従事,成功を収めた。これによって,若くしてアカデミー・デ・シアンスの天文官となり,62年以降コレージュ・ド・フランスの天文学教授。詳細な惑星運行表の作成から啓蒙的な著作に至る幅広い活躍をした。標準的な天文学の教科書として名高い《天文学論》全2巻(1764)は各国語に翻訳されたが,その第2版(1771-81)のストラッベArnold Bastian Strabbe(1741-1805)によるオランダ語訳が日本に伝えられ,高橋至時ら天文方の学者によって一部訳され《ラランデ暦書管見》となり,さらに高橋景保,渋川景佑らによって《新巧暦書》として完成されている。
執筆者:村上 陽一郎
ラランド
André Lalande
生没年:1867-1963
フランスの哲学者。エコール・ノルマル・シュペリウールに学び,1909年から37年までパリ大学教授。アカデミー・デ・シアンス会員。フランス伝統の合理主義に立って,進化主義や生の哲学など当代の哲学を批判し,〈理性〉概念の吟味の上に認識や道徳を基礎づけようとした。《科学哲学講義》(1893,1907)や《理性と規範》(1948)などの著作があるが,とくに《哲学用語辞典》(1902-23)の編者として有名である。
執筆者:荒川 幾男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ラランド
Lalande, Joseph-Jérôme Le Français de
[生]1732.7.11. ブルジャンブレッス
[没]1807.4.4. パリ
フランスの天文学者。パリで法律を学んでいた当時から天文学に興味をもち,1751年ベルリンにおもむいて月の観測にあたった。これは同時になされたケープタウンにおける N.ラカイユの観測値と合せることによって月までの距離の精密決定に寄与した。これによりベルリン科学アカデミー会員。のちコレージュ・ド・フランスの天文学教授 (1762) 。 A.クレローの三体問題の理論を発展させ,惑星理論の進歩に貢献。ラランド賞を設ける (1802) など,天文学の研究奨励・普及にも努めた。彼の書物はオランダ語に訳され,鎖国下の日本に持込まれて日本の天文学に影響を与えた。主著『天文学概論』 Traité d'astronomie (1764) 。
ラランド
Lalande, André
[生]1867.7.19. ディジョン
[没]1963.11.15. アスニエール
フランスの合理主義哲学者。哲学用語辞典"Vocabulaire technique et critique de la philosophie" (1902~23) の編者として著名。 1904~37年ソルボンヌ,37~40年カイロのフアード1世各大学教授。 22年道徳学アカデミー,45年ベルギー王立アカデミー会員。進化論に反対し,知的,道徳的,社会的進歩は多様な現象のなかにより多くの類似性を発見し,異質を同質化していく解体に存するとした。また常識の原理となる構成された理性に対して,価値判断を司る構成する理性の役割を強調した。主著は『進化の指導理念に対する解体の指導理念』L'Idée de la dissolution opposée à celle de l'évolution (1899) 。
ラランド
Lalande(Delalande), Michel-Richard de
[生]1657.12.15. パリ
[没]1726.6.18. ベルサイユ
フランスの作曲家。サンジェルマン・ロセロア聖堂の合唱隊員として音楽を学び,パリの4つの聖堂のオルガン奏者を歴任。ルイ 14世の王女たちの音楽教師をつとめ,1683年宮廷礼拝堂の楽長,1704年宮廷の宗教音楽,室内楽の責任者となった。ベルサイユ楽派の最も重要な作曲家の一人。多くのモテト,カンタータ,バレエ音楽,室内楽曲などを残した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
ラランド Lalande, Georg de
1872-1914 ドイツの建築家。
1872年9月6日生まれ。明治36年(1903)に来日し,横浜,神戸,東京などでドイツ新芸術様式による建築物を設計した。大正3年8月4日横浜で死去。41歳。ヒルシュベルク(現ポーランドのイエレニャ-グーラ)出身。作品にトーマス邸,イリス商会,旧オリエンタルホテルなど。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
ラランド
没年:大正3.8.4(1914)
生年:1872.9.6
明治期に来日した建築家。ドイツのヒルシュベルク(現ポーランド)生まれ。明治34(1901)年に上海,青島に渡り,36年に来日,横浜を拠点に住宅作品を数多く手がけ,神戸の旧トーマス邸は「風見鶏の家」として知られる。横浜で急逝。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
ラランド
フランスの天文学者。1795年パリ天文台長。1751年ベルリンで月の視差を観測。著書《天文学論》(1764年)の部分訳が《ランデ暦書管見》,完訳が《新巧暦書》。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
ラランド
生年月日:1867年7月19日
フランスの合理主義哲学者
1963年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報