朝日日本歴史人物事典 「住友友純」の解説
住友友純
生年:元治1.12.21(1865.1.18)
明治大正時代の実業家。右大臣徳大寺公純の6男。母は千世浦。京都生まれ。幼名は隆麿,号は春翠。長兄に侍従長・内大臣の徳大寺実則,次兄に西園寺公望がいる。明治25(1892)年学習院法律撰科を退学後,住友家の養嗣子として入家し,翌年住友家を相続して名を吉左衛門と改め,友純と称した。以来住友家家長として別子銅山を中心とする家業の発展に努め,44年男爵を授与され,大正10(1921)年に住友総本店が合資会社となると社長に就任した。この間事業は,鉱山業から伸銅,鋳鋼,化学,銀行,倉庫,林業へと派生,拡大していったが,友純は住友の象徴的存在としての地位にあったといえよう。別子開坑200年を記念して,明治33年には皇居前広場に楠公銅像の建立を果たしたが,欧米視察の経験から公共施設の寄付にも熱心で,大阪図書館(府立中之島図書館)の創設,東北帝大鉄鋼研究所の設立,美術館用地を含む公園(天王寺公園)の提供などをおこなった。東北帝大の本多光太郎が発明したKS磁石鋼は,住友吉左衛門の名にちなんで命名された。また中国古銅器の収集家として有名で,そのコレクションは『泉屋清賞』『増訂泉屋清賞』などの刊行を通じて紹介され,現在泉屋博古館(京都市)で公開されている。<参考文献>住友春翠編纂委員会編『住友春翠』
(安国良一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報