日本大百科全書(ニッポニカ) 「住友友純」の意味・わかりやすい解説
住友友純
すみともともいと
(1864―1926)
明治・大正期の住友財閥当主。右大臣徳大寺公純(きんいと)の六男で幼名隆麿(たかまろ)。長兄徳大寺実則(さねつね)は内大臣・侍従長、次兄西園寺公望(きんもち)は首相、政友会総裁として著名。父から国学、漢学を学び、1884年(明治17)学習院入学、92年法律撰科(せんか)5年で退学、広瀬宰平(さいへい)らの奔走で住友家当主に迎えられ、翌年4月に15代住友吉左衛門を襲名、友純と改めた。号は春翠。住友の経営は歴代の専門経営者に任せ、自らは象徴に徹し、名門出身、貴族的容姿、洋風好みと相まって、住友のイメージアップに貢献した。芸術にも親しみ、その収集した古代中国の銅器類は世界的に有名である。1911年(明治44)男爵となる。
[麻島昭一]
『「住友春翠」編纂委員会編・刊『住友春翠』(1955)』