日本大百科全書(ニッポニカ) 「佐瀬与次右衛門」の意味・わかりやすい解説
佐瀬与次右衛門
させよじえもん
(1630―1711)
江戸中期、会津の精農、村肝煎(きもいり)。陸奥(むつ)国会津藩領幕内(まくのうち)村(福島県会津若松市神指(こうざし))に生まれ、農業に従事する。名は末盛(すえもり)。旧姓仁科(にしな)であるが、初代藩主保科正之(ほしなまさゆき)をはばかり、改姓したという。1644年(正保1)父克盛(かつもり)の名代で幕内村肝煎(名主(なぬし))となり、70年(寛文10)家を継ぐ。81年(天和1)精農として藩より褒賞を受ける。84年(貞享1)55歳のとき『会津農書』3巻を著す。会津地方の農業について、稲作、畑作、農家経営に分けて述べた三部作である。続いて、歌と絵入りで平易に解説した『会津歌農書』3巻、地方の農事を問答風に記した『会津農書附録』8冊(2、4、6、8の4冊が現存)を執筆、農業技術の改良普及に努めた。これらは、宮崎安貞(やすさだ)の『農業全書』(1697)より早い時期に著述され、東北の寒地農法を体系的に解明したものとして高く評価されている。ほかに『会津幕之内誌』(1691)がある。正徳(しょうとく)元年6月11日没、82歳。墓碑に「誓祐院廓誉良貞居士」とある。
[庄司吉之助]
『庄司吉之助著『会津幕之内誌――佐瀬家の記録』(1956・私家版)』