佐藤繁彦(読み)さとうしげひこ

改訂新版 世界大百科事典 「佐藤繁彦」の意味・わかりやすい解説

佐藤繁彦 (さとうしげひこ)
生没年:1887-1935(明治20-昭和10)

神学者ルター研究家。福島県生れ。東大京大に学び,ルター研究を志し,日本基督教会牧師となったが,のちルター派教会に転じた。1922年より2年間ベルリンでK.ホル師事,帰国して日本ルーテル神学専門学校教授となり,著作翻訳月刊誌ルッター研究》(1925-35)の発行などを通してルターを日本に紹介した。その著作《羅馬ローマ)書講解に現れしルッターの根本思想》(1933)は日本でのこの分野古典となっている。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

20世紀日本人名事典 「佐藤繁彦」の解説

佐藤 繁彦
サトウ シゲヒコ

明治〜昭和期のキリスト教神学者,ルター研究家



生年
明治20(1887)年9月24日

没年
昭和10(1935)年4月16日

出生地
福島県会津若松

経歴
一高在学中に海老名弾正にキリスト教の洗礼を受ける。大正9年九州学院神学部講師となり、11〜13年ドイツに留学。帰国後ルーテル教会に転じ、ルーテル神学専門学校の歴史神学の教授に就任。またルッター研究会を主宰、14年〜昭和10年個人月刊誌「ルッター研究」を執筆、発行した。著書に「若きルーテル」「宗教体験の研究」「信仰の人マルティーン・ルッター」「ルッターの信仰及思想」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「佐藤繁彦」の意味・わかりやすい解説

佐藤繁彦
さとうしげひこ

[生]1887. 会津若松
[没]1935.4.
キリスト教神学者。第一高等学校を経て 1913年京都帝国大学文学部卒業。高校在学中,海老名弾正に導かれて入信。京大卒業後,18年まで東京帝国大学大学院に在籍し,ルター研究を継続するかたわら東京神学社に学ぶ。同年朝鮮新義州日本基督教会牧師,20年熊本日本基督教会牧師,九州学院神学部講師に就任。 22年ドイツへ留学。帰朝後,ルーテル神学校 (九州学院の後身) の東京移転とともに東京に移住し,教理史と教会史を担当。ルター研究会を主宰し月刊『ルター研究』発刊。 33年『ロマ書講解にあらわれたルッターの根本思想』により京都大学から文学博士号を受く。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐藤繁彦」の解説

佐藤繁彦 さとう-しげひこ

1887-1935 大正-昭和時代前期の神学者。
明治20年9月24日生まれ。大正9年九州学院講師。11-13年ドイツでホルに師事。帰国後日本ルーテル神学専門学校教授。14年ルッター研究会を創設し月刊誌「ルッター研究」を発刊した。昭和10年4月16日死去。49歳。福島県出身。京都帝大卒。著作に「若きルーテル」「体験宗教の研究」など。

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367日誕生日大事典 「佐藤繁彦」の解説

佐藤 繁彦 (さとう しげひこ)

生年月日:1887年9月24日
明治時代-昭和時代の神学者
1935年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の佐藤繁彦の言及

【ルター】より

…日本では,1911年に《キリスト者の自由》が訳されたのが邦訳の始めであるが,相前後して伝記の出版もみられた。翻訳や論文,著作によってルターを紹介し,研究を深めたのは石原謙と佐藤繁彦(とくに後者の《ローマ書講解に現れたルターの根本思想》)である。これにつづく岸千年のルターの《ヘブライ人への手紙》講義の研究(《ヘブル書講解におけるルターの神学思想》)や,すでに数ヵ国語に翻訳されている北森嘉蔵《神の痛みの神学》がある。…

※「佐藤繁彦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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