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海老名弾正 えびな だんじょう

デジタル大辞泉の解説

えびな‐だんじょう〔‐ダンジヤウ〕【海老名弾正】

[1856~1937]宗教家教育家。福岡の人。東京、本郷教会の牧師。のち、同志社大学総長。著「基督(キリスト)教十講」「帝国之新生命」など。

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百科事典マイペディアの解説

海老名弾正【えびなだんじょう】

プロテスタント牧師,教育家。筑後柳河藩士の家に生まれる。熊本洋学校に学んで入信,卒業後同志社に入学,新島襄に師事した。安中教会,本郷教会の牧師,同志社大学総長(1920年―1928年)などを歴任,その雄弁な説教と雑誌《新人》による健筆で多くの人を感化した。
→関連項目熊本洋学校安井てつ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

海老名弾正 えびな-だんじょう

1856-1937 明治-大正時代の牧師,教育者。
安政3年8月20日生まれ。明治9年徳富蘇峰らと熊本バンドをつくる。12年同志社を卒業後,群馬県安中(あんなか),東京本郷,熊本などで伝道。日本伝道会社社長などをへて30年本郷教会の牧師となり,吉野作造や鈴木文治らに影響をあたえる。大正9年同志社総長。キリスト論をめぐって植村正久と論争した。昭和12年5月22日死去。82歳。筑後(ちくご)(福岡県)出身。幼名は喜三郎。著作に「基督教本義」「基督教大観」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

海老名弾正

没年:昭和12.5.22(1937)
生年安政3.8.20(1856.9.18)
牧師,思想家,教育者。幼名喜三郎。筑後柳河(福岡県)出身。熊本洋学校在学中に「熊本バンド」のひとりとしてキリスト教に入信。同志社を卒業後,安中,前橋,神戸,東京の本郷の各教会の牧師を歴任。大正9(1920)年から8年間,同志社総長。キリスト教と儒教・神道の連続性を説き,キリストを宗教的最高の人格者としたため,それを神とする植村正久と「福音主義論争」を引き起こした。また言論活動で吉野作造ら明治精神界に大きな影響を与え,大杉栄らに洗礼を授けた。明治期第1世代の国士的キリスト者の代表のひとり。

(原誠)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

えびなだんじょう【海老名弾正】

1856‐1937(安政3‐昭和12)
キリスト教思想家,教育家。筑後柳河藩士の子に生まれ,熊本バンドに加わり,1879年同志社卒業後,群馬の安中教会牧師,日本基督伝道会社社長,本郷教会牧師(1897‐1920),同志社大学総長(1920‐28)などを歴任。彼は万人に普遍的な宗教的意識を究極的に完成したものをキリスト教とし,儒教や神道との等質性,類比性を求めた。そのため,キリストを神の啓示とし,その固有の神性を擁護した植村正久と論争。《新人》(1900‐23),《新女界》(1909‐19)を刊行して論陣を張った。

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大辞林 第三版の解説

えびなだんじょう【海老名弾正】

1856~1937) 牧師・教育家。福岡県生まれ。同志社大総長。自由主義的立場からキリスト教と神道の等質性を追求したため、その信仰は神道的キリスト教とも呼ばれた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

海老名弾正
えびなだんじょう

[生]安政3(1856).9.18. 筑後柳河
[没]1937.5.22. 東京
牧師,伝道者。立花藩士の家に生れる。明治5 (1872) 年熊本洋学校に学び,1876年キリスト教に入信。 79年同志社英学校卒業後,安中,前橋,東京本郷,熊本の各教会を設立,伝道。やがて本郷教会に戻り,1900年『新人』を創刊。植村正久との間にキリスト論をめぐって論争 (1901~02) 。 20~28年同志社大学総長。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

海老名弾正
えびなだんじょう
(1856―1937)

明治・大正期の指導的キリスト教教師。福岡の柳川(やながわ)藩士の子として生まれる。藩校に学び、1872年(明治5)熊本洋学校に入学。同校教師L・L・ジェーンズの影響を受け、1876年花岡山で「奉教趣意書」に署名、同年ジェーンズから受洗した。いわゆる熊本バンドの一人。同校卒業後、同志社英学校に入学。在学中安中(あんなか)(群馬県)に伝道し、新島襄(にいじまじょう)と安中教会を設立した。同志社卒業後、同教会牧師となる。1890年から日本伝道会社社長に就任、その後神戸教会牧師を経て1897年より東京の本郷教会牧師。1900年(明治33)から雑誌『新人』を発行し、その本郷教会での説教は多くの青年、学生たちを集めた。そのなかに吉野作造(よしのさくぞう)、鈴木文治(すずきぶんじ)らがいた。1901年より植村正久(うえむらまさひさ)とキリストの理解をめぐって論争。1920年(大正9)には同志社総長に就任。彼の強いナショナリズムと自由主義的な神学思想は、「正統」的キリスト教からやや逸脱する傾向をみせ、日露戦争を積極的に肯定したりしたが、多方面にわたる関心を示したことで、その言論は注目された。[鈴木範久]

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世界大百科事典内の海老名弾正の言及

【植村正久】より

…彼は日本伝道の主体の確立を唱え,外国のミッションからの精神的・経済的独立,日本人伝道者の養成,伝道の拠点となる教会の形成,健全な福音主義的伝統の擁護に努めた。日本基督公会の無教派的伝統の継承を唱え,日本基督教会大会伝道局の自給を実現し,海老名弾正と神学論争をし,東京神学社を設立し,ミッション補助の教会の格下げを提案したのはこのためであった。彼は日本の精神的伝統に深い関心を持ち,その革新と復興を唱え,それを可能にするものがキリストの福音であるとした。…

※「海老名弾正」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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