保科村(読み)ほしなむら

日本歴史地名大系 「保科村」の解説

保科村
ほしなむら

[現在地名]長野市若穂保科

東は妙徳みようとく山・熊窪くまくぼ山の稜線仙仁せに村(現須坂すざか市仙仁町)と境し、北は太郎山稜で綿内わたうち村・小出こいで村と境し、西北耕地大星おおぼし山で川田かわだ村と境し、南西は奇妙きみよう山・保基谷ほきや岳で寺尾村・東条村・豊栄村と境し、南は保基谷岳の分水で菅平の高原(現小県ちいさがた郡真田町)と境し、三方山地で囲まれる。千曲川の支流保科川とその支流の赤野田あかんた川とがこれらの山の渓水を集めて北西に流れ、中流域に扇状地をつくる。集落は、保科川沿いに上流から持者じしや山内やまうち・高岡・袖山そでやま(外山)引沢ひきざわ・久保・まち滝崎たきざき・在家・須釜すがま・矢原がある。赤野田川沿いに上流から赤野田・八幡はちまん高下こうげ・和田がある。

村内を保科川に沿ってほぼ南北に古道が通る。上野国大笹おおざさ(現群馬県吾妻郡嬬恋村大笹)に至ることから、これを大笹道と称す。近村ではまた単に保科道ともいい、善光寺平への重要な道となっている。

保科の地名は「和名抄」記載の古代の郷名として「穂科保之奈」とみえるほか、「吾妻鏡」の文治二年(一一八六)三月の条に「保科御厨」、同三年二月の条「保科宿」、更に諏訪社上社の神使御頭足之書の天正元年(一五七三)のものには「大県介保科郷」と記される。

村名としては慶長七年(一六〇二)の川中島四郡検地打立之帳(小柳文書)に「千二百八拾三石九斗六升六合 保科村」とみえ、大村のうちに属す。

村域周辺一帯には早くから保科氏が拠ったと思われるが、中世初頭、井上(現須坂市井上)に拠って井上氏の一党の地となったようである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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