信濃丸(読み)しなのまる

改訂新版 世界大百科事典 「信濃丸」の意味・わかりやすい解説

信濃丸 (しなのまる)

明治期の日本郵船株式会社の花形商船。1900年1月グラスゴー竣工,6388総トン。当時,日本郵船所有の最大型船としてアメリカ(シアトル航路に就航した。日露戦争に際して,当初陸軍徴用の輸送船として活躍し,05年3~6月海軍御用船として仮装巡洋艦に使用された。日本海海戦にあたって,対馬海峡に向かうロシアのバルチック艦隊を最初に発見し,〈敵艦見ゆ〉と打電し,日本連合艦隊出動の機を適切にした功績によって,東郷平八郎連合艦隊司令長官より感状を授けられた。のち再度の陸軍徴用船として復員輸送に従事した。第1次世界大戦後,アメリカ航路に復帰し,ホンコン~シアトル間の航海に従事したが,23年日本郵船が設立した子会社近海郵船に現物出資として提供され,遠洋船の地位を退いた。第2次大戦中も生き残り,戦後は海外からの引揚者の輸送に活躍したが,51年に廃船となった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「信濃丸」の意味・わかりやすい解説

信濃丸
しなのまる

日本郵船所属の貨客船で、1900年(明治33)イギリスのグラスゴーで竣工(しゅんこう)、同年8月日本に回航された。6388総トン、船客定員238人、主機三連成レシプロ。北アメリカ航路に就航していたが、04年日露戦争勃発(ぼっぱつ)とともに陸軍御用船、ついで仮装巡洋艦として参戦。翌05年5月27日未明、ウラジオストクに向かって対馬(つしま)海峡に差しかかったロシアのバルチック艦隊の一部、病院船アリヨールを発見し、「敵艦見ゆ」の第一報を連合艦隊に打電、続いて敵艦隊の動向を通報し続け、日本海海戦の大勝利へのきっかけをつくった。のち、近海郵船に所属を変え、その後さらに蟹(かに)工船となり、第二次世界大戦中は輸送船、戦後は引揚船として51年(昭和26)まで活躍した。

[茂在寅男]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「信濃丸」の意味・わかりやすい解説

信濃丸
しなのまる

旧日本海軍の仮装巡洋艦。 1900年イギリスで竣工。総トン数 6388t,速力 15kn。郵船として建造されたが,05年3~6月日本海軍に徴用された。同年5月 27日,哨戒中,対馬海峡へ向うロシアのバルチック艦隊を発見し,無電で急報したことで有名になった。実戦における無線は旅順封鎖当時から使用されていたが,この無線の急報が海戦史上有名な日本海海戦端緒となったことで知られる。その後,客船,サケ・マス漁の母船,第2次世界大戦後は引揚げ船として活躍,50年解体された。

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世界大百科事典(旧版)内の信濃丸の言及

【日本海海戦】より

…ロシアは開戦以来の戦勢を挽回するため,ヨーロッパからバルチック艦隊を東洋に増遣することを決め,ロジェストベンスキー中将が指揮して,1904年10月,バルト海のリエパヤ軍港を出港した。途中,日本の同盟国イギリスの監視,圧力,妨害をうけながら,222日に及ぶ長途の遠征の後,05年5月27日早暁,対馬海峡東水道入口に達したが,日本の哨艦〈信濃丸〉はこれを発見,報告した。東郷平八郎大将の指揮する連合艦隊は,旅順のロシア艦隊を撃滅した後,修理と訓練に努め,主力は韓国南岸の鎮海湾に待機していたが,直ちに出動,両国艦隊は沖ノ島付近で遭遇,午後2時過ぎから翌日にかけて数回の戦闘が行われた。…

※「信濃丸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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