日本歴史地名大系 「倉垣庄」の解説
倉垣庄
くらがきのしよう
- 富山県:射水郡
- 倉垣庄
現
倉垣庄
くらがきのしよう
現在の倉垣付近にあった庄園。「康平記」康平五年(一〇六二)正月一三日条に「屯食八具、(中略)倉垣御荘二具」とみえ、このときすでに摂関家領として成立しており、摂関が奈良春日社に参詣するための負担の一部として屯食(強飯)二具を割当てられている。その後、藤原忠通の娘で崇徳上皇の中宮となった皇嘉門院に伝領されたが、治承四年(一一八〇)彼女がそれを甥の九条良通に譲ったので九条家領となった(同年五月一一日「皇嘉門院惣処分状」九条家文書)。しかし、九条家領になっても春日詣の負担はかわらず、正治二年(一二〇〇)正月一〇日の摂政近衛基通の春日詣にさいして屯食二具が課せられている(「猪隈関白記」同日条)。
承久の乱の三年後、元仁元年(一二二四)僧理真(俗名野間弥太郎)が倉垣村
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報